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新版 歌舞伎事典

劇場・舞台

劇場・舞台

●独特の舞台機構

 歌舞伎の劇場は、江戸時代には〈芝居〉または〈芝居小屋〉と呼ばれていた。発生的に見ると、初期の女歌舞伎・若衆歌舞伎の時代には先行の勧進猿楽の舞台を襲用し、見物席は屋根を持たない〈芝居〉(芝の生えている場所の意)であった。屋根の付いた棧敷(さじき)が発生すると、これに対する一般の見物席を指して用いたが、やがて劇場全体を指し、さらにはそこで演じられる演劇自体をも〈芝居〉と呼ぶに至ったのである。最初、周囲は竹矢来を組んだ上に莚(むしろ)をかけた虎落(もがり)で囲み、中央に高く櫓を構え、その下に鼠木戸(〈鼠戸〉とも)という狭い出入口を二箇所設けただけの簡単なものであった。やがて、囲みは板囲いに変わり、舞台は方二間から方三間に広がったうえ、付舞台が生まれて、しだいに広くなっていった。見物席と舞台との全体を覆う、いわゆる全蓋式(ぜんがいしき)の劇場が許可されたのは享保三(1718)年からのことである。

 舞台機構で注目すべき特色は、花道と廻り舞台を備えていることである。花道は、初期歌舞伎が襲用した能舞台における橋掛りの〈道としての機能〉が、舞台全体の拡張の中で失われていったのに代わり、見物席を貫通する形で出現したものであり、はじめは仮設のものだったらしいが、享保期には常設の機構として確立している。花道は、舞台の延長であったり、舞台とは別の空間であったりして、〈歩く芸〉を印象強く見せるのに効果的に用いられる。役者と観客との親しみや交歓のためにも有効である。作品によっては、東の方にある〈東のあゆみ〉を花道としても利用し、〈東の花道〉と呼ばれた。近代になって、〈本花道〉に対する〈仮花道〉の称も用いられるようになった。これは、ふだんは設けていない東の花道を、とくに仮設するようになって以後の名称である。〈本花〉〈仮花〉と略称することもある。花道を使っての出端(では)や引込みの六方、またたとえば《妹背山婦女庭訓》の〈吉野川の場〉や《鞘当》の不破名古屋の丹前の出のように両花道を効果的に使う場面などは、花道という機構を備えている歌舞伎ならではの魅力溢れる演出となっている。江戸時代の江戸の劇場の花道は、揚幕を出たところで直角に折れていた。〈七三〉の位置は、現在は舞台から三分、揚幕から七分(実際にはもっと舞台に近い)となっているが、古くは、揚幕から三分の位置だったといわれる。花道にある〈スッポン〉は原則として人間以外の精や霊、妖怪、怨霊、忍術使いなどの出入りに用いる〈セリ上げ〉〈セリ下げ〉の機構である。すなわち、花道を歩かせない形で、効果的、印象的に役者を出没させるために案出されたものにほかならない。

 廻り舞台は、江戸中期の宝暦八(1758)年、大坂ではじめて大劇場で使用された。初世並木正三の業績とされる。これによって、舞台の転換がスピーディに行えるようになり、作劇の面でもいっそう自由な場面構成を採ることが可能になった。舞台機構の発達が、すなわち歌舞伎という演劇の発達をうながしたのである。〈セリ〉〈がんどう〉〈田楽(でんがく)〉〈引道具〉の発明など、舞台機構の発達は著しいものがあった。

●観客席

 観客席は、初期にあってはのちの土間どまに相当する〈芝居〉と貴人のための〈棧敷〉との区分しかなかった。時代が下ると複雑な区画が生ずるが、それにしても基本は、上の見物のための〈棧敷〉、下の見物のための〈土間〉の二区分が意識されていた。江戸中期に、劇場の建築および内部様式が確立する。それ以後、東西の二階棧敷、一階棧敷(〈鶉(うずら)〉ともいう)、向棧敷(むこうさじき)、平土間、切落し、中の間、羅漢台、吉野などの区別が生まれた。

 明治五(1872)年都心に新進した新富座で、外国の劇場の影響を受け、一部椅子席を設置して以後、従来の仕切枡(しきります)の制度はしだいになくなり、やがて棧敷席以外はすべて椅子席になった。現在では、国立劇場のように棧敷席を持たない歌舞伎劇場さえ登場するようになった。

 一方、舞台の間口は江戸時代には六‐七間を理想としたものであるが、現在の歌舞伎座が一五間、国立劇場(大劇場)が一二・二間と約二倍に長くなっている。これは、近代の大劇場主義と奥行をそれほど延ばさないで観客席を広くしようと意図した興行師による改革であり、結果的に歌舞伎の質を変える方向につながった面を否定できない。

 また、明治四四年に帝国劇場が創設されたとき、西欧流の本格的な額縁式舞台となり、歌舞伎劇場独特の伝統的な張出し舞台は姿を消してしまった。

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