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「外交・使節団」カテゴリの記事一覧

オンライン辞書・事典サービス「ジャパンナレッジ」の「外交・使節団」のカテゴリ別サンプルページです。
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征韓論(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
いわゆる「明治六年(一八七三)十月の政変」をひきおこした外交政策論争。明治政府は成立早々の明治元年十二月(一八六九年一月)対馬藩主宗義達に命じて王政復古を朝鮮政府に通告させたが朝鮮政府は釜山で宗氏の家臣に対し、日本からの国書には日本天皇が朝鮮国王より名分論的に
岩倉使節団(日本大百科全書・世界大百科事典)
1871年(明治4)11月から1873年9月にかけて、約1年10か月、米欧12か国を歴訪した、出発時46名よりなる使節団。特命全権大使は右大臣岩倉具視(いわくらともみ)で、副使は参議木戸孝允(きどたかよし)、大蔵卿(おおくらきょう)大久保利通
日中国交回復(日中共同声明)(世界大百科事典・日本大百科全書)
中華人民共和国が成立したのは1949年であるが,日本が中国と正常な国交関係を樹立したのは72年の日中共同声明においてであった。新しい中国が誕生してから23年目の国交樹立であり,日本は79番目の中国承認国となった。日中国交回復が遅れていたのは,日本が
日米和親条約(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸幕府がアメリカ使節ペリーと結んだもので、鎖国を破った最初の条約。神奈川条約ともいう。列強のアジア政策の焦点は、一八四〇年代前半中国と条約上の通商を開始して、極東の鎖国日本の開国へと絞られた。その先導的役割を果たしたアメリカ政府の対日使節派遣計画は
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