新版 日本架空伝承人名事典のサンプルページ一覧

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大石良雄(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
一六五九-一七〇三江戸時代中期の播磨国赤穂藩士。正しくは「よしたか」とよむ。赤穂事件における浪士の中心的指導者。万治二年(一六五九)播磨赤穂の浅野家の代々家老の家に生まれる。通称喜内。代々の通り名は内蔵助。父は権内良昭で、早く没し、延宝五年
閻魔(日本架空伝承人名事典・日本国語大辞典・世界大百科事典)
閻魔は冥府の王として仏教とともに日本に入り、恐ろしいものの代名詞とされたが、地蔵菩薩と習合して信仰対象にもなった。奈良時代には閻羅王と書かれ、まれに閻魔国とも書かれている(『日本霊異記』)。閻羅は閻魔羅闍(えんまらじゃ)の略で、閻魔王の意味である。
天邪鬼(日本架空伝承人名事典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
アマノザク、アマンジャクメ、アマノサグメなどとも称され、漢字は天邪鬼を当てている。昔話の瓜子姫を代表として、民間説話に多く登場する想像上の妖怪。現在も、性質が素直ではなく、人に逆らう者を称して通常用いられる。天邪鬼は神や人に反抗して意地が悪く、さらに
蘆屋道満(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
平安中期の法師陰陽師。道摩ともいう。安倍晴明と術くらべする人物として登場することが多い。『古事談』『宇治拾遺物語』『十訓抄』に、道摩法師が藤原顕光の命で藤原道長に妖術をしかけるが、道長の犬と晴明に見破られ、本国播磨国に追放されたと伝える。『峯相記』
六歌仙(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
『古今和歌集』仮名序で、紀貫之によって論評された六人の歌人の称。僧正遍昭(照)、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友(伴)黒主の六人を指す。六人は「いにしへの事をも歌をも知れる人、よむ人多からず。……近き世にその名きこえたる人」としてあげられ
三遊亭円朝(日本架空伝承人名事典・日本近代文学大事典・日本大百科全書)
幕末・明治の落語家。本名出淵(いづぶち)次郎吉。父は落語家橘家円太郎。七歳で小円太を名のり初高座。一時、画工を志し歌川国芳に浮世絵を学ぶものの、再び落語家に戻り、二〇歳で三遊亭円朝となる。画技を生かした道具入り正本芝居咄で人気を博したが、師匠二代目
国定忠次(日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
江戸後期の博徒。忠次(治)郎ともいう。上野国佐位郡国定村の出身。中農以上に属する長岡与五左衛門の長男。二一歳のとき博徒の縄張を譲られて以来博徒の親分となり、一八三四年(天保五)縄張争いから同じ博徒の島村の伊三郎を殺害し、有名となる。四二年賭場の最中に
運慶(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
?-一二二三鎌倉時代初期の仏師。康慶の子。長子湛慶が建長六年(一二五四)八十二歳であった(蓮華王院本堂中尊千手観音像銘)ことから逆算して、ほぼ一一四〇年代の出生と推定される。治承四年(一一八〇)焼亡の東大・興福両寺の復興造像に康慶とともに一門を率いて
葛飾北斎(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
江戸後期の浮世絵師。葛飾派の祖。江戸本所割下水(現、東京都墨田区)で生まれた。幼少の頃より好んで絵を描き、版画の技術を学び、勝川春草の門に入って写実的な役者絵、黄表紙などの挿絵を描いた。狩野派を学んだために勝川派から追放され、以後は土佐派・琳派
喜多川歌麿(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
江戸中・後期の浮世絵師。本姓は北川。生国には諸説がある。幼名は市太郎、のち勇助(勇記とも)。江戸に出て、狩野派の絵師である鳥山石燕に師事し、のちに浮世絵の第一人者となった。初めは北尾重政・鳥居清長ら先輩の作風を学び、修業を重ねた。歌麿の号は
東洲斎写楽(日本架空伝承人名事典・新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
江戸時代の浮世絵師。生没年不詳。一七九四年(寛政六)五月から翌九五年一月までの正味一〇カ月間(途中閏月がはさまる)を活躍時期として、役者絵、相撲絵の版画一四〇余図という多くを発表。当時おおいに人気を得たらしいが、その後は浮世絵界との交渉をまったく
静御前(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
生没年不詳。源義経(よしつね)の妾(しょう)。磯禅師(いそのぜんじ)の女(むすめ)で、もと京都の白拍子(しらびょうし)であった。義経が京都堀川第(ほりかわだい)で兄頼朝(よりとも)の刺客土佐房昌俊(とさぼうしょうしゅん)に襲われたとき、機転によって
源頼家(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
一一八二-一二〇四 鎌倉幕府の第二代将軍。一二〇二―〇三在職。源頼朝の長男。母は北条政子。寿永元年(一一八二)鎌倉の比企能員邸に生まれる。幼名は万寿(または十万)。能員妻・河越重頼妻(能員の妹)・梶原景時妻らが乳母となる。頼家の安産を祈って源頼朝は
天之御中主神(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
『古事記』の神々のなかで最初に出現した神。別天神(ことあまつかみ)のことである。高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)とともに造化の三神ともいわれ、天の中心にあって天空を主宰している神の意。しかし、『延喜式』神名帳には
光明皇后(世界大百科事典・国史大辞典・日本架空伝承人名事典)
奈良前期の聖武天皇の皇后。諱(いみな)は安宿(あすかべ),出家して光明子という。藤原不比等の第三女,母は橘三千代。幼にして聡慧,早くから声誉高かったが,716年(霊亀2)16歳で皇太子首(おびと)皇子の妃となり,翌々年阿倍皇女(孝謙天皇)を生む
小野小町(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代前期の女流歌人。生没年不詳。六歌仙、三十六歌仙の一人。出羽国の郡司良真の女。篁(たかむら)の孫、美材(よしき)、好古(よしふる)らの従妹とされる。系図については諸説があるが、確かなことは不明。小町の名についても、宮中の局町に住んだことによると
弁慶(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
源義経の郎従。武蔵坊と称する。没年は衣川の合戦で義経に殉じたとする伝承にもとづいて一一八九年(文治五)とされる。『吾妻鏡』や『平家物語』にその名が見えるので、実在の人物と考えられているが、詳しくは不明。その説話や伝承は、『義経記』をはじめ室町時代の
鞍馬天狗(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
大仏次郎の連作時代小説の主人公。『鬼面の老女』(一九二四)から『西海道中記』(一九五九)まで三六編の作品があり、いずれも鞍馬天狗を主人公としている。『御用盗異聞』『角兵衛獅子』『天狗廻状』『宗十郎頭巾』『江戸日記』『雁のたより』などがとくに名高い
一心太助(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
大久保彦左衛門に愛されたと伝えられる魚商。生没年不詳。侠勇あって「一心」の名は首(または腕ともいう)に「一心白道」の四字を入墨したところから呼ばれたとされる。実録本『大久保武蔵鐙(あぶみ)』によって大久保政談にからんで登場、浅草茅町の穀商松前屋
水戸黄門(日本架空伝承人名事典)
徳川光圀。江戸中期の大名。水戸藩初代藩主徳川頼房の三男として水戸に生まれる。母は頼房の側室谷久子。家臣の屋敷で養われた。幼名は長丸、のち千代松、九歳で元服のとき三代将軍徳川家光の一字を与えられて光国と名のる。のち五〇歳代に国を圀に改めた。字ははじめ
鼠小僧次郎吉(世界大百科事典・国史大辞典・日本架空伝承人名事典)
江戸の著名な盗賊。《視聴草》によれば,1823年(文政6)以来10年間に99ヵ所の武家屋敷へ122度も忍びこみ,金3000両余を盗む。盗金は酒食や遊興,ばくちなどに費やした。32年8月獄門。36歳とも37歳ともいわれた。のち小説,講談,戯曲に義賊とし
塚原卜伝(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
室町末期の剣豪で、新当(しんとう)流(鹿島(かしま)新当流、卜伝流、墳原(つかはら)卜伝流など)の祖。卜伝の伝記は巷説(こうせつ)が多く明らかではないが、常陸大掾(ひたちだいじょう)鹿島家の四宿老(しゅくろう)の一つで、鹿島社(鹿島神宮)の祠官(しか
山荘太夫(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
長者の没落伝説で、説経浄瑠璃(じょうるり)などの語物文芸として近世以前から語られていた安寿(あんじゅ)と厨子王(ずしおう)の物語。奥州五十四郡の大守岩城判官正氏(いわきのはんがんまさうじ)が、他人の虚言による無実の罪で筑紫(つくし)に流され、その子の
石童丸(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
説経節『苅萱(かるかや)』に出てくる幼い主人公の名。『苅萱』のもとになる話は、中世の高野山の蓮華谷や往生院谷あたりの「萱堂(かやんどう)」に住む聖(ひじり)の間に生まれたもので、それが後に謡曲の『苅萱』と説経に分かれて展開したものである。説経『苅萱』
赤穂浪士(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
一七〇一年(元禄一四)三月一四日に、江戸城本丸松之廊下で播磨赤穂城主(五万三五〇〇石)浅野内匠頭長矩(ながのり)が高家肝煎(きもいり)(旗本)であった吉良上野介義央(よしなか)に突然斬りかかって傷を負わせた事件があった。この日は幕府の年賀に対する答礼
愛護若(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・国史大辞典)
説経節『愛護若』の主人公。愛護は父二条蔵人清平の後妻、雲井の前の邪恋を拒んだため、二条の館を追放される。叔父の阿闍梨(あじゃり)のいる叡山を訪ねるが、そこでも天狗と誤られて乱暴され、失意と絶望から山中を放浪した果てに霧降滝(きりうがたき)で投身自殺し
丹下左膳(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科事典)
林不忘が一九二七年(昭和二)から翌年まで新聞に連載した長編小説『新版大岡政談‐鈴川源十郎の巻』に登場してくる、痩せさらばえた隻眼隻手の怪剣士。奥州中村藩六万石の藩主相馬大膳亮の家臣で、乾雲(けんうん)・坤竜(こんりゅう)の名刀をめぐる争いに藩主の密命
蝉丸(日本架空伝承人名事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
虚構の人名。説話では、延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子で、盲目のため逢坂山へ遺棄された琵琶の名手と伝える。『後撰集』(巻十五)に、「逢坂の関に庵室を造りて住み侍りけるに、行きかふ人を見て」の詞書のもとに、「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂
銭形平次(日本架空伝承人名事典)
野村胡堂が一九三一年(昭和六)から五七年まで書き継いだ『銭形平次捕物控』シリーズ(長・短編合わせて総計三八三編)の主人公。江戸神田明神下の長屋に住む「江戸一番の捕物名人」の御用聞(岡っ引き)。犯罪者の捕縛に際して、投げ銭の特技を見せるところから、銭形
信徳丸(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科事典)
説経節『信徳丸』の主人公。河内国高安郡信吉(のぶよし)長者の子として生まれた信徳丸は、継母ののろいを受けて癩になり、天王寺(四天王寺)西門の前の引声堂の縁の下に隠れ、飢死にを決意する。しかし、許婚乙姫の献身的な愛情と、清水観音の利生によって、もとの身
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