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ジャパンナレッジで閲覧できる『一茶』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

日本大百科全書・世界大百科事典

日本大百科全書(ニッポニカ)

一茶
いっさ
[1763―1827]

江戸時代の文化・文政期(1804~30)に活躍した俳諧師 (はいかいし)。本名は小林弥太郎。北信濃 (きたしなの)の柏原 (かしわばら)(北国 (ほっこく)街道の宿場町。長野県信濃町)に生まれる。15歳(数え年)で江戸に出たが、晩年は生地に帰住した。父の弥五兵衛は伝馬屋敷一軒前 (てんまやしきいっけんまえ)の中の上の本百姓。3歳で母くにを失い、継母さつがきて、義弟専六 (せんろく)(のちに弥兵衛)が生まれたことが、離郷の原因とみられている。29歳で葛飾 (かつしか)派(江戸俳諧の一派で田舎 (いなか)風が特色)の執筆 (しゅひつ)になるが、それまでの事情はほとんど不明。この年帰郷しのちに『寛政 (かんせい)三年紀行』にまとめるが、それ以後のことは一茶自身の日録風の句文集(『七番日記』など)などにより承知できる。一茶はメモ魔のごとく記録をとっている。

 寛政4年から6年間(1792~98)、亡師竹阿 (ちくあ)の知人門弟を頼りに、京坂、四国・中国の内海側、九州北半分(長崎まで)を遍歴し、五梅 (ごばい)(観音寺)、樗堂 (ちょどう)(松山)、升六 (しょうろく)、大江丸 (おおえまる)(大坂)、闌更 (らんこう)(京都)などの有力俳諧師に接し、読書見聞の記録を残す。西国修業の旅だった。しかし、江戸に帰っても宗匠 (そうしょう)にはなれない。そのため、葛飾派関係の人の多い、下総 (しもうさ)(千葉県北部と茨城県の一部)、上総 (かずさ)(千葉県中央部)を歩き回って、巡回俳諧師として暮らすしかなかった(「わが星は上総の空をうろつくか」)。39歳のとき父死去(のちに『父の終焉 (しゅうえん)日記』を書く。「父ありて明 (あけ)ぼの見たし青田原 (あおたはら)」)。そして、「椋鳥 (むくどり)」(冬季出稼ぎ人の綽名 (あだな))とからかわれ、支持者夏目成美 (せいび)(札差 (ふださし)で著名俳人)との心の通いもしっくりしない江戸暮らしに、ますます孤独を覚え(「江戸じまぬきのふしたはし更衣 (ころもがえ)」)、やがて、頑健な体にも衰えを感じ始めて、巡回旅の不安定が身にしみてくる(「秋の風乞食 (こじき)は我を見くらぶる」)。かくして、柏原帰住を決意した一茶は、江戸と柏原の間を6回も往復して、ついに継母義弟に、父の遺言どおりの財産折半を実行させる。また帰住前後を通じて、長沼(現長野市)の春甫 (しゅんぽ)、魚淵 (なぶち)、紫 (むらさき)(現高山村)の春耕 (しゅんこう)、中野(現中野市)の梅堂 (ばいどう)、湯田中 (ゆだなか)(現山ノ内町)の希杖 (きじょう)をはじめ、柏原周辺から千曲 (ちくま)川両岸にわたる地域の力ある門弟を多数得る。50歳で帰住(「是 (これ)がまあつひの栖 (すみか)か雪五尺」)。52歳で結婚(初婚)。門弟のところを回り歩き、ときには江戸に出て、親友の一瓢 (いっぴょう)、松井 (まつい)、さては利根 (とね)川畔の鶴老 (かくろう)の寺に泊まったりしているが、3男1女の全部を失い、妻きくまで失う。後妻ゆきとも3か月で離婚。やをを妻に迎えたのもつかのま、その翌年は大火にあって、土蔵暮らしとなり、文政10年11月19日、三度目の中風で死ぬ。娘やたは次の年に生まれた。それでも、最初の中風回復のあとは、「今年から丸まうけぞよ娑婆遊 (しゃばあそ)び」とか、「荒凡夫 (あらぼんぷ)」などと書いたりして、自由勝手な生きざまに徹し、「花の影寝まじ未来が恐ろしき」とつくって、いつまでも生きたいと願っていたのである。柏原に一茶旧宅(国指定史跡)がある。

[金子兜太]



世界大百科事典

一茶
いっさ
1763-1827(宝暦13-文政10)

江戸後期の俳人。姓は小林,名は弥太郎。圯橋,菊明,雲外などの号がある。信濃国水内郡柏原村の農業弥五兵衛・妻くにの長男として生まれる。3歳で母を失い,8歳の時から継母に育てられたが折合いが悪く,内向的で孤独な性質が養われた。〈我と来て遊べや親のない雀〉は,そのころを追想した吟である。14歳のおり,江戸へ奉公に出る。俳諧は,初め葛飾派二六庵竹阿に学び,1787年(天明7)25歳の時,秘書《白砂人(はくさじん)集》を書写。当時,今日庵元夢の執筆(しゆひつ)をつとめた。一茶作品の初出は,翌年刊の安袋(元夢)編《俳諧五十三駅》である。91年(寛政3)に15年ぶりに帰省し,《帰郷日記》を著述。翌春江戸をたって関西西国筋へ俳諧修業に出かけ,旅中最初の撰集《たびしうゐ》や《さらば笠》を編み,また闌更,重厚,大江丸,升六等と交わる。7年に及ぶ行脚を終えて江戸に戻った彼は,洒脱な作風で俳壇に知られるに至った。しかし都会の風はなお田舎者一茶に冷たく,夏目成美の庇護を受けてようやく生計を立て,房総筋の知人宅に寄宿を重ねる流浪の生活であった。1801年(享和1)久しぶりに帰郷して父の死にあい,《父の終焉日記》を著述。その後義弟と遺産分配をめぐって争う。10年余を経た13年(文化10)にようやく和解して故郷に落ち着き,その感慨を〈是がまあつひの栖(すみか)か雪五尺〉と詠んだ。52歳で結婚したが妻子を相次いで失う。長女の死を記念して悲喜転変の思いを綴った《おらが春》は,彼の最高傑作として名高い。再婚に破れ,3度妻をめとった。死の直前には家を焼失,苦渋に満ちた過酷な生涯であった。文政10年11月19日没。不遇な境涯に発想して特異性を発揮する一茶の作品は,芭蕉・蕪村の流れからはみ出したすね者の俳諧である。彼は筆録を好み,日々の所感を認めたおびただしい数の句日記や撰集類を残し,現存する一茶の句は2万句に近い。〈椋鳥と人に呼ばるる寒さ哉〉(《八番日記》)。
[石川 真弘]

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1. 一茶
日本大百科全書
この年帰郷しのちに『寛政かんせい三年紀行』にまとめるが、それ以後のことは一茶自身の日録風の句文集(『七番日記』など)などにより承知できる。一茶はメモ魔のごとく記
2. 一茶
世界大百科事典
不遇な境涯に発想して特異性を発揮する一茶の作品は,芭蕉・蕪村の流れからはみ出したすね者の俳諧である。彼は筆録を好み,日々の所感を認めたおびただしい数の句日記や撰
3. いっさ【一茶】
全文全訳古語辞典
[人名]⇒小林一茶
4. てぃーつぃじゃー【一茶】[方言]
日本方言大辞典
一杯だけの茶。 沖縄県首里「てぃーつぃじゃー ぬまん むん(お茶は一杯だけでは飲まないもの。落ち着いてせよの意のことわざ)」993沖縄語辞典(国立国語研究所)1
5. いっさ【一茶】
日本国語大辞典
(江戸後期の俳人)〓こばやしいっさ(小林一茶
6. いっさ【一茶】
国史大辞典
⇒小林一茶(こばやしいっさ)
7. いっさ【一茶】
日本人名大辞典
⇒小林一茶(こばやし-いっさ)
8. 近世俳文集
日本古典文学全集
200あまりの俳文を載せる横井也有(やゆう)の『鶉衣(うずらごろも)』、与謝蕪村の俳句日記『新花摘』、小林一茶の『おらが春』や『父の死』など、 23人の俳人の4
9. いっさ‐き【一茶忌】
日本国語大辞典
〔名〕陰暦一一月一九日の、俳人小林一茶の命日。またこの日、一茶をしのんで行なわれる俳諧の行事をもいう。《季・冬》
10. いっさしちばんにっき【一茶七番日記】
国史大辞典
彼の数多くの句日記中最も勝れており、一茶研究資料として貴重なものである。原本は東京の小坂善太郎の所蔵である。『一茶叢書』四、『一茶文庫』四・五、『改造文庫』、『
11. いっさほっくしゅう【一茶発句集】
国史大辞典
後者は嘉永元年(一八四八)刊。一茶の崇拝者今井墨芳の編集で、前者に増補し、俳句八百二十句と俳諧歌十八首を収める。いずれも一茶の没後間もない時期の編集で、一茶の特
12. いっさ‐らくがん【一茶落雁】
日本国語大辞典
いって粉にし、砂糖を加えて固めたもの。淡白な味で香味がある。長野県小布施の名物で、同地出身の俳人小林一茶の名にちなんだもの。イッサラク
13. 『一茶七番日記』
日本史年表
1810年〈文化7 庚午〉 1・‐ 小林一茶、 『一茶七番日記』 を記す(~文政元年12月)。
14. ひとつ‐ちゃのみ【一茶実】
日本国語大辞典
〔名〕紋所の名。一つの茶の実を図案化したもの。〓[チャ]
15. 【一茶頃】いっさけい
新選漢和辞典Web版
茶を一服する間ほどの短時間。
16. 一茶遺稿断簡(著作ID:4358379)
新日本古典籍データベース
いっさいこうだんかん 
17. 一茶翁俳諧文集(著作ID:12168)
新日本古典籍データベース
いっさおうはいかいぶんしゅう 一之(いっし) 編 俳諧 嘉永五刊
18. 一茶句稿(著作ID:2609258)
新日本古典籍データベース
いっさくこう 一茶(いっさ) 俳諧 
19. 一茶細筆句集(著作ID:4358382)
新日本古典籍データベース
いっささいひつくしゅう 俳諧 
20. 一茶書簡(著作ID:4384678)
新日本古典籍データベース
いっさしょかん 一茶(いっさ) 書簡 
21. 一茶短冊(著作ID:4384846)
新日本古典籍データベース
いっさたんざく 一茶(いっさ) 俳諧 
22. 一茶百話(著作ID:96060)
新日本古典籍データベース
いっさひゃくわ 其水(きすい) 等 編 俳諧 天明七刊
23. 一茶発句集(著作ID:96071)
新日本古典籍データベース
いっさほっくしゅう 一茶(いっさ) 俳諧 文政一二刊
24. ちゅちゃわん【一茶碗】[方言]
日本方言大辞典
茶わんに一杯。 沖縄県首里993沖縄語辞典(国立国語研究所)1963
25. ひとちゃま【一茶間】[方言]
日本方言大辞典
食事から食事までの間。 愛知県北設楽郡054方言(雑誌)1931~1938
26. 小林一茶
世界大百科事典
一茶
27. こばやし‐いっさ【小林一茶】
日本国語大辞典
江戸後期の俳人。通称、彌太郎。本名、信之。信濃柏原の人。三歳で実母に死別し、八歳以後継母の下に育てられる。一四歳の時、江戸に出る。のち二六庵竹阿(ちくあ)の門に
28. こばやしいっさ【小林一茶】
全文全訳古語辞典
[人名]江戸後期の俳人。一七六三年(宝暦十三)~一八二七年(文政十)。信州柏原の人。三歳で実母が亡くなり、八歳から継母に育てられるも不和、十五歳で江戸に出て葛飾
29. こばやしいっさ【小林一茶】
国史大辞典
[参考文献]束松露香『俳諧寺一茶』、伊藤正雄『小林一茶』、加藤楸邨撰『一茶秀句』、尾沢喜雄『小林一茶とその周辺』、大場俊助『一茶の作家肖像』(『一茶研究叢書』二
30. こばやし-いっさ【小林一茶】
日本人名大辞典
1763−1828* 江戸時代後期の俳人。宝暦13年5月5日生まれ。15歳で信濃(しなの)(長野県)から江戸にでて流浪,二六庵竹阿(ちくあ)に師事。39歳で父と
31. こばやしいっさ【小林一茶】
日本架空伝承人名事典
。[石川 真弘]一茶の小父ちゃん 一茶の小父ちゃんあなたの生まれはどこですのはいはい私の生まれはのう信州信濃の山奥のその又奥の一軒家雀とお話してたのぢゃ一茶の小
32. 小林一茶[文献目録]
日本人物文献目録
・成美・一茶』山口剛『一茶さん』相馬御風『几董・召波・一茶』藤本秋圃『一茶研究序説』勝峯晋風『俳人一茶』黒沢隆信『一茶句話』前沢淵月『一茶雑記』荻原井泉水『一茶
33. こばやしいっさきゅうたく【小林一茶旧宅】長野県:上水内郡/信濃町/柏原村
日本歴史地名大系
)、奥行二間二尺(三・七メートル)、茅葺平屋建てである。柏原は一茶の生誕・終焉の地であるため、ほかにも一茶関係の旧跡が多い。一茶は宝暦一三年(一七六三)五月五日
34. 俳諧寺一茶文集(著作ID:297223)
新日本古典籍データベース
はいかいじいっさぶんしゅう 俳諧 
35. 小林一茶
日本大百科全書
一茶
36. あい-きゃう【愛敬】
全文全訳古語辞典
た形》かわいらしいこと。愛想のいいこと。愛嬌。 「口もとより爪先まで、愛敬こぼれて愛らしく」〈一茶・おらが春〉口もとから(足の)爪の先まで、愛嬌がこぼれてかわい
37. あお‐なわ[あをなは]【青縄】
日本国語大辞典
〔名〕(青い色であったところから)近世、罪人をつかまえる時に用いた縄。取り縄。あおほそびき。*指月宛一茶書簡‐文政七年〔1824〕一月六日「御地は青縄さわぎのお
38. あおの-たこう【青野太〓
日本人名大辞典
1764−1828 江戸時代後期の俳人。明和元年生まれ。今泉恒丸(つねまる)にまなび,小林一茶(いっさ),夏目成美(せいび)らとまじわる。晩年は越後(えちご)(
39. あかん‐め【赤目】
日本国語大辞典
〔名〕(「あかめ(赤目)」の変化した語)「あかんべい」に同じ。*俳諧・一茶発句集〔1829〕上・春「鳴猫に赤ン目をして手まり哉」*黒い眼と茶色の目〔1914〕〈
40. あ‐が‐ほとけ【吾仏・我仏】
日本国語大辞典
おしゆるもあり」*俳諧・寛政三年紀行〔1791〕「莚(むしろ)一つあが仏とたのみて一夜を明す」*俳諧・一茶真蹟‐茨の花〔1810〕「柱ともたれしなぬし嘉左衛門と
41. あぐら を かく
日本国語大辞典
たりや膳はぢく」*俳諧・梅塵抄録本‐文化元年歌仙〔1804〕今打し「茶の水も近き居抜に引移り〈一茶〉 胡座かいても見ゆる淀川〈成美〉」*真景累ケ淵〔1888〕〈
42. あぐらをかく
故事俗信ことわざ大辞典
いたりや膳はぢく」俳諧・梅塵抄録本‐文化元年歌仙(1804)今打し「茶の水も近き居抜に引移り〈一茶〉胡座かいても見ゆる淀川〈成美〉」真景累ケ淵(1869頃)〈三
43. あさ‐ごろも【麻衣】
日本国語大辞典
とは〈よみ人しらず〉」*謡曲・百万〔1423頃〕「親子の契り麻衣、肩を結んで裾に下げ」*俳諧・一茶真蹟‐五十聟〔1814〕「人らしく更(か)へもかへけりあさ衣」
44. あし【足・脚】
全文全訳古語辞典
くちばしと脚とが赤い、鴫ほどの大きさなの(=都鳥)が。名句鑑賞 やれ打つな蝿が手をすり足をする〈一茶〉 やれ待て、そんな無慈悲に打ち殺すこともないじゃないか。う
45. あし‐まくら【足枕】
日本国語大辞典
〔名〕ほかの人の足を枕として寝ること。*俳諧・一茶発句集〔1829〕下「足枕手枕鹿のむつまじや」
46. あすら
日本国語大辞典
〔名〕朝のこと。*一茶方言雑集〔1819~27頃〕「朝(アスラ)豊後 すら反さ也」*和訓栞〔1777~1862〕「あさ 朝をいふあは明く也さは少也狭也豊後の方言
47. あすら【朝】[方言]
日本方言大辞典
朝。 豊後※090方言雑集及付録(小林一茶)1827以前
48. あすら【阿修羅】
日本国語大辞典
の巻「相図の礫今やうつらし〈几董〉 添ふしにあすら(阿修羅)が眠うかがひつ〈蕪村〉」*春甫他宛一茶書簡‐文政三年〔1820〕一二月八日「手足はけぶり黒み、髭(ひ
49. あだ‐ぐも【徒雲】
日本国語大辞典
政〉 化(アダ)雲のえしれぬ小哥跡消て〈春澄〉」*俳諧・迹祭〔1816〕「大福餠でまねく旅人〈一茶〉 仇雲の根なし咄を帳につけ〈魚淵〉」
50. あちゃ
日本国語大辞典
〔接続〕それなら。*一茶方言雑集〔1819~27頃〕「あちゃあそれならばに同」それでは。それなら。《あちゃ》群馬県吾妻郡218 多野郡246 埼玉県秩父郡251
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