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ジャパンナレッジで閲覧できる『本朝通鑑』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典

日本大百科全書(ニッポニカ)

本朝通鑑
ほんちょうつがん

江戸前期の幕府編修の歴史書。神代から後陽成 (ごようぜい)天皇に至るまでの日本の通史。中国の『資治通鑑 (しじつがん)』の名称と記述法に倣ったもの。正編(初名は『本朝編年録』)は林羅山 (らざん)が3代将軍徳川家光 (いえみつ)の命により編修、神武 (じんむ)天皇から宇多 (うだ)天皇までで40巻。続編は林鵞峰 (がほう)が4代家綱 (いえつな)の命により1670年(寛文10)に完成、醍醐 (だいご)天皇から後陽成天皇に至るまでで230巻。ほかに首2巻、前編3巻、提要30巻、付録5巻、総計310巻。編修用の建物が「国史館」で、日記が『国史館日録』。天皇一代ごとの編年体で、事実をありのままに記述し勧善懲悪の効果を期待している。記事の出典を記さない点で『大日本史』に劣るが、今日失われている多数の文書記録を含んでいる貴重な史書。本書にわが皇室の始祖を呉 (ご)の太伯とした記述があったとする説(安藤為章 (ためあきら)『年山紀聞 (ねんざんきぶん)』)は誤伝。国書刊行会本18冊(1918~20)。

[宮崎道生]



『本朝編年録』(稿本)[百科マルチメディア]
『本朝編年録』(稿本)[百科マルチメディア]

林羅山(はやしらざん)自筆稿本 江戸時代初期写国立国会図書館所蔵


世界大百科事典

本朝通鑑
ほんちょうつがん

神代から1611年(慶長16)に至る間の漢文による編年体の史書。林羅山・林鵞峰著。310巻。前編(神代)3巻,正編(神武~宇多)40巻,続編(醍醐~後陽成)230巻,提要30巻,付録(神祇,皇運,朝職(上下),武職)5巻,目録1巻,引用書目1巻。1670年(寛文10)完成。本書ははじめ羅山が徳川家光の命で1644年(正保1)から通史の編修に当たり,50年(慶安3)に神武朝から宇多朝までを完成して《本朝編年録》の書名で幕府に提出したが,明暦の大火で焼失した。62年修史継続の命が徳川家綱から羅山の子鵞峰に下り,64年から忍岡林邸内の国史館で作業が開始され,《本朝編年録》の稿本を復元校勘して正編とし,続編を林梅洞,林鳳岡,人見友元,坂井伯元らが分担起草し,鵞峰が統轄して完成し幕府に献上した。中国の《資治通鑑(しじつがん)》を模範にし,《通鑑綱目》を参考とし,事実を直叙して後代の鑑戒とすることを目ざした。幕府の援助もあって豊富な史料に基づき,史実の考証,異説の併載や俗伝,異聞の紹介もある。一般的に儒教的合理主義の立場で述べられ,いわゆる林家史学の代表とされ,これに異論をもつ水戸藩の《大日本史》などの編修を呼び起こした。
[山本 武夫]

[索引語]
林羅山 林鵞峰 徳川家光 本朝編年録 徳川家綱 資治通鑑(しじつがん) 通鑑綱目


国史大辞典

本朝通鑑
ほんちょうつがん
江戸幕府編集の漢文編年体の日本通史。全三百十巻。前編三巻(神代)、正編四十巻(神武―宇多)、続編二百三十巻(醍醐―後陽成)、提要三十巻(重要事項に関わる綱文のみを摘録、林鳳岡・人見竹洞・坂井伯元担当)、附録五巻(神祇部・皇運部・朝職部・武職部)、凡例ならびに引用書目録二巻。寛文十年(一六七〇)六月成立。本書の正編は『本朝編年録』を基にしている。『本朝編年録』は林羅山らが編纂し、正保元年(一六四四)十月に進呈された書で、神武―持統の部分を羅山・林鵞峯が分担執筆している。「寛永二十一年十月四日、進〓呈編年録四冊〓、自〓神武〓〓持統〓、時此冊亦成、故副献之」(『本朝王代系図』跋)とあるように未完である。その後、文武―淳和の部分を林読耕斎が執筆し、上呈したのが正保二年春である。仁明―宇多の部分を羅山が監修していたが病気のため完成に至らず、以上を三十三巻にまとめたまま中止となっていた。その稿本は現在内閣文庫に在る。『本朝通鑑』編修の決定された時に正編四十巻として編入した。『寛政重修諸家譜』には「(寛文四年)十月編年録をあらため本朝通鑑と名づくべきむね仰下され」とある。その際全体の体裁整合のため大幅の改修添削を加えている。『本朝編年録』の上呈本が明暦の大火により焼失後、続修の議が幕府内に起り、その開始される前に忍岡の林家内に編纂所を増設して国史館と名づけたが、以後完成に至るまでの起稿・写字・校訂のことから鵞峯の公私にわたる経過は『国史館日録』に詳しい。本書編修の議は寛文二年に始まり、同四年七月永井尚庸が奉行となり、八月に編修所が成り、十一月から醍醐紀の起筆を開始した。書名は八月ごろに決定され、醍醐紀以後は新しく着手することとし『続本朝通鑑』とした。編修方針は本書の「本朝通鑑条例」に示されているが、朱子の『通鑑綱目』の例を採らず司馬温公の『資治通鑑』に倣うこととした。これについては徳川光圀と議するところがあった。この事業は幕府も強い関心を示し酒井忠清以下老中らの支援のもとに、林家の鵞峯・梅洞・鳳岡および門人の人見竹洞・坂井伯元・狛高庸・伊庭春貞らが分担し筆生八名(のちに三十余名に増員)を加えて推進した。史料蒐集も当時披閲困難であった公家・諸大名家蔵の書籍・記録類の借入・書写にはかなりの便宜供与を受けることができた。広範囲で大量の編修であるので、時代別に担当者を定め並行して進行する方法を採ったが、梅洞の死去、分担者間の文体の違いや進度の差、あるいは鵞峯との意見の調整などがあって難航する場合もあった。また、異説を併記し考証を施している場合もあり、両説を挙げて後世の批判にまかせる姿勢もある。人物の逸話行動を記述して伝記の資とし著名な伝説も掲げてある。鵞峯は羅山の影響を受けて考証には意を注いでいたようであるが、中には註を加えることなく俗伝をそのまま採用するという厳密を欠く部分もある。また、正編と続編とを比べると後者がやや簡潔さを欠き出典を挙げていないのは今日では惜しまれるが、当時は存在して今日失われている記事の存するのは功とすべきである。彼が意図したのは、序や『国史館日録』(寛文四年十一月二十八日条)に記しているが、歴史を倫理的に見ることを避け史実を直書することにあった。今日、清書本および写本が内閣文庫に蔵され、国立国会図書館・蓬左文庫・尊経閣文庫ほかにも伝写本がある。刊本は『標記本朝通鑑』(大槻誠之ら編、和装八十四冊、明治十四年(一八八一))、同(博文館、明治三十年)、『本朝通鑑』(全十八冊のうち一―一六、国書刊行会、大正七年(一九一八)―九年)。
[参考文献]
福井保『江戸幕府編纂物』、花見朔巳「本朝通鑑考」(史学会編『本邦史学史論叢』下所収)、安川実「本朝編年録の研究」(『歴史教育』一〇ノ一〇)、山本武夫「本朝通鑑の編纂」(『(新訂増補)国史大系月報』三)
(山本 武夫)
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本朝通鑑の関連キーワードで検索すると・・・
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検索コンテンツ
1. 本朝通鑑(ほんちょうつうかん)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 869ページ
2. 本朝通鑑画像
日本大百科全書
江戸前期の幕府編修の歴史書。神代から後陽成ごようぜい天皇に至るまでの日本の通史。中国の『資治通鑑しじつがん』の名称と記述法に倣ったもの。正編(初名は『本朝編年録
3. 本朝通鑑
世界大百科事典
神代から1611年(慶長16)に至る間の漢文による編年体の史書。林羅山・林鵞峰著。310巻。前編(神代)3巻,正編(神武~宇多)40巻,続編(醍醐~後陽成)23
4. ほんちょうつがん[ホンテウツガン]【本朝通鑑】
日本国語大辞典
江戸前期の史書。三一〇巻。正編四〇巻は林道春(羅山)、前編三巻と続編二三〇巻は林道勝(鵞峰)の編。徳川幕府の命になる修史事業の成果で、寛文一〇年(一六七〇)成立
5. ほんちょうつがん【本朝通鑑】
国史大辞典
た。その稿本は現在内閣文庫に在る。『本朝通鑑』編修の決定された時に正編四十巻として編入した。『寛政重修諸家譜』には「(寛文四年)十月編年録をあらため本朝通鑑と名
6. 『本朝通鑑』
日本史年表
1650年〈慶安3 庚寅⑩〉 この夏 林羅山撰 『本朝通鑑』 完成。 1664年〈寛文4 甲辰⑤〉 11・1 幕府、 国史館 を忍ヶ岡に設置し、林鵞峰に 『本朝
7. 本朝通鑑(著作ID:496468)
新日本古典籍データベース
ほんちょうつがん 林羅山(はやしらざん) 林鵞峰(はやしがほう) 通史 寛文一〇
8. 本朝通鑑
古事類苑
姓名部 洋巻 第1巻 411ページ
9. 本朝通鑑提要(著作ID:1019632)
新日本古典籍データベース
ほんちょうつがんていよう 林鳳岡(はやしほうこう) 等 通史 寛文一〇
10. 續本朝通鑑(ぞくほんちょうつうかん)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 871ページ
11. 続本朝通鑑補脱(著作ID:4376296)
新日本古典籍データベース
ぞくほんちょうつがんほだつ 歴史 
12. いっこうしゅう‐いっき[イッカウシュウ‥]【一向宗一揆】
日本国語大辞典
2〕七月一七日「奈良興福寺。一向宗一揆蜂起。悉焼亡す。大乗院、一乗院、其外伽藍計残る也」*続本朝通鑑〔1670〕「是月加賀国一向宗一揆群起、寇
13. いば-しゅんてい【伊庭春貞】
日本人名大辞典
江戸時代前期の儒者。寛永17年生まれ。幕臣。林鵞峰(がほう)にまなび,寛文5年儒官となる。鵞峰らの「本朝通鑑(つがん)」の編修にくわわった。元禄(げんろく)7年
14. いまでがわけ【今出川家】画像
国史大辞典
家名は公顕が西園寺家領今出川殿を伝領したことに由来すると思われる。また別号を「菊亭」といい、その由来を『続本朝通鑑』に「兼季愛〓菊植
15. 江戸時代(年表)
日本大百科全書
林羅山『童蒙抄』1669(寛文9)山鹿素行『中朝事実』成る。小石川後楽園完成1670(寛文10)6月 林家『続本朝通鑑』1672(寛文12)熊沢蕃山『集義和書』
16. 伽婢子 2 206ページ
東洋文庫
紹介するのが目的だったのである。やや横道にそれるが、江戸幕府の儒官林春斎(羅山の第三子)が『本朝通鑑』を編述する際、上杉方から出された資料(『上杉家記』〈未見。
17. かいこく‐そう[クヮイコク‥]【回国僧・廻国僧】
日本国語大辞典
〔名〕高野聖(こうやひじり)のこと。平安末期以後、諸国を巡遊したところからいう。*続本朝通鑑〔1670〕七五・秀吉高野攻「高野僧有〓三等
18. 搗栗
世界大百科事典
い。かちぐりを〈勝栗〉だとしてめでたい食品とする観念がいつごろ生まれたかも明らかでないが,《本朝通鑑(ほんちようつがん)》(1670)には豊臣秀吉の小田原征伐の
19. 甲子夜話 2 51ページ
東洋文庫
奨コ諭読レ書識レ字者謁或至一等祠→正二本縁一斥一一傅会→或教一民人一以二稼穡芸殖之法岨又『続本朝通鑑』日。天正六年八月、信長軍旅之暇、有二好レ茶之癖4嘗謂二武井
20. 甲子夜話続篇 1 289ページ
東洋文庫
磐こそ有らめ。又此二詩既足下以為二吾祖一禦う侮と云しも、却て雪にあらで、露と云はん歎)。近者読二林祭酒『本朝通鑑』一、而始知二其冤一云(林氏の『通鑑』は全く『義
21. 甲子夜話続篇 1 293ページ
東洋文庫
故あるか。○『剣巻』に云。承安四年の春の頃、五条の橘次末春と云金商人に相共して東国へ下げる。○『本朝通鑑』引二小説一云。到二上野国板鼻一、其邸長伊勢能盛豪強、厚
22. 甲子夜話続篇 1 295ページ
東洋文庫
を考合せて知べし。長箱が事蹟、実録にはたえて見えざるを、強てありし人とせんはいかにぞや。『続本朝通鑑』の六十二の巻にも、俗説義経殺二
23. かんえいぶんか【寛永文化】 : 近世
国史大辞典
やがてこの上流社会で、日本の共通語が熟成されることになった。さらに、政治的統制の新文化として、『本朝通鑑』『寛永諸家系図伝』などの歴史書、各国の国絵図、各藩の土
24. かんじょうしょ【関城書】
国史大辞典
欠くが群書類従本などは二月十五日の日付をもつ)、全文漢文体の格調高い文章で書かれた一書は、『続本朝通鑑』『大日本史』『南方紀伝』さらに『群書類従』合戦部に収めら
25. がくもんしそうのどうこう【学問・思想の動向】 : 近世
国史大辞典
に重要な役割を果たすこととなる。  日本の歴史に関する学問の方面では、近世の前期から幕府の『本朝通鑑』や水戸藩の『大日本史』など、大規模な編纂事業が行われ、これ
26. がんけいじ【元慶寺】京都市:山科区/北花山村地図
日本歴史地名大系
る。華頂山と号し、天台宗。本尊薬師如来。年号の元慶は「ガンギョウ」と読むのを通例とするが(「本朝通鑑」ほか)、現在寺では「ガンケイ」としている。花山寺ともよばれ
27. きんせい【近世】画像
国史大辞典
やがてこの上流社会で、日本の共通語が熟成されることになった。さらに、政治的統制の新文化として、『本朝通鑑』『寛永諸家系図伝』などの歴史書、各国の国絵図、各藩の土
28. 近世の日本・日本近世史 236ページ
東洋文庫
後年『四書集註抄』を著わしている。先ず羅山には、『本朝通鑑』の前身である『本朝編年録』および『寛永諸家系図伝』その他の編があり、その子鷲峰には『大日本史』となら
29. 近世説美少年録 21ページ
日本古典文学全集
合シテ七箇国ノ大守管領ニ封ゼラレ」(応仁後記)。永正八年より十五年まで在京(応仁後記)。この消息は『続本朝通鑑』一八〇、永正十五年八月の項に見える。大永六年(一
30. 義経記 2 311ページ
東洋文庫
り」に渡海伝説があるが、江戸時代になると、あの時、海を越えて蝦夷が島へ渡り(その最初の書が『本朝通鑑』である)、征服して「オキクルミ」と仰がれ、神に祭られたとい
31. 穢
世界大百科事典
妨げるばかりか神事の中止や延期など執行の支障をともなった例が六国史その他の記録に多い。 穢の観念 《本朝通鑑》によれば,1027年(万寿4)8月に藤原道長が法華
32. 元禄文化画像
日本大百科全書
が商業倫理に貢献した。また市民的経験知に直接関係はないが、為政者側の修史事業として、幕府の『本朝通鑑ほんちょうつがん』(1670)、水戸藩の『大日本史(本紀列伝
33. げんろくぶんか【元禄文化】
国史大辞典
『暦象新書』(翻訳)など科学的研究の前進を示している。さらに民衆文化からはずれるが、幕府の『本朝通鑑』(寛文十年)、水戸藩の『大日本史』編集開始、白石の『藩翰譜
34. 孔子臭い
故事俗信ことわざ大辞典
「聖人はかもなくふかもなき物を孔子くさしとなどていふらん」俳諧・西鶴五百韻(1679)早何「本朝通鑑一代の秋〈西花〉洗濯物孔子嗅(クサ)くもうつ衣〈西友〉」浮世
35. こうし‐くさ・し【孔子臭】
日本国語大辞典
聖人はかもなくふかもなき物を孔子くさしとなどていふらん」*俳諧・西鶴五百韻〔1679〕早何「本朝通鑑一代の秋〈西花〉 洗濯物孔子嗅(クサ)くもうつ衣〈西友〉」*
36. 慊堂日暦 6 261ページ
東洋文庫
行えば、行は天下に満つるも怨悪なし。○郷藩蔵板。左氏春秋(岳本)・温史(元板)・畢史(創本)・本朝通鑑(創本)。○守成する者必ず儒臣あり耶律楚材、世祖に謂って曰
37. 慊堂日暦 6 262ページ
東洋文庫
夜鷹蕎麦と曰う。往々暁に徹して返る。今は則ち人定前に返る。博徒の絶えたるに因ると。○林公陶集、世に行わる。本朝通鑑、五経正義、王白田近思録注、石経、書詩三礼孝論
38. 慊堂日暦 6 270ページ
東洋文庫
林公。本朝通鑑の紙数、五経正義、御定三経、周礼岳本、王白田近思録注、石経書詩三礼論孝爾、陶集世に行わる、穀梁賛美、孟趙注同、三礼義疏を斥く、三史(芸州、問うべし
39. 国史館
日本大百科全書
1664年(寛文4)に林鵞峯はやしがほうが江戸・上野忍ヶ岡しのぶがおかの別邸内に設けた『本朝通鑑ほんちょうつがん続編』の編集所。同年鵞峯が幕府の命を受けて起稿、
40. 国史館
日本史年表
1664年〈寛文4 甲辰⑤〉 11・1 幕府、 国史館 を忍ヶ岡に設置し、林鵞峰に 『本朝通鑑』 の続修を命じる(昌平志)。
41. こくしかんにちろく【国史館日録】
国史大辞典
活字本は国書刊行会本『本朝通鑑』に収載されている。ちなみに、鵞峯の日記の寛文十一年以後は『南塾乗』と題し別に存する。→本朝通鑑(ほんちょうつがん) [参考文献]
42. こくしがく【国史学】 : 歴史学
国史大辞典
実証主義的な研究方法であって、それがたとえば十七世紀中葉に幕府の命を承けて林羅山・鵞峯父子が編纂した『本朝通鑑』や、同じころ水戸藩で着手した『大日本史』の編纂の
43. こくしじつろく【国史実録】
国史大辞典
)に林羅山が幕命を受けて『本朝編年録』を編集したが、未完に終った。そのあとを鵞峯が編集して『本朝通鑑』を完成したのであるが、同時に実録を編集していた。これは完成
44. こくしょかんこうかい【国書刊行会】
国史大辞典
〔第七期〕 本朝通鑑(林鵞峯他) 首巻本朝通鑑序・続本朝通鑑序・本朝通鑑凡例・本朝通鑑引用書目・本朝通鑑目録・続本朝通鑑目録・附録(鵞峰林先生自叙譜略他) 1本
45. ごせっけ【五摂家】画像
国史大辞典
近衛・鷹司の五摂家の分立が完成した。五摂家の分立を、摂関家勢力の分裂を図る幕府の方策とみる『本朝通鑑』の説は考え過ぎであろう。ただ五摂家分立当時の政治情勢をみる
46. しかんめいわ【史館茗話】
国史大辞典
平安時代の詩人の逸話や詩文の批評。林梅洞著。一巻。寛文八年(一六六八)刊。父の鵞峯が幕命を奉じて『本朝通鑑』を編纂した際に、嫡子梅洞もこれに従事したが、その余暇
47. しがくかい【史学会】
国史大辞典
一回の大会を開催、以後毎年の行事となった。明治年間においては、『史学会叢書』『史学会論叢』『本朝通鑑』など出版活動も盛んであった。明治四十四年、前年の会長重野の
48. 史学史画像
日本大百科全書
羅山らざんの死後、子の鵞峯がほう(1618―1680)に受け継がれ、1664年(寛文4)に『本朝通鑑つがん』と改称され、1670年に至って、神武じんむ天皇から後
49. しじつがん【資治通鑑】
国史大辞典
大成された諸注も付された。周囲の漢字文化圏まで強い影響を及ぼし、朝鮮の『東国通鑑』や日本の『本朝通鑑』などの編纂をみた。『四部叢刊』に影印された宋版や『考異』と
50. 『春秋左氏伝』
日本史年表
1169年〈嘉応元(4・8) 己丑〉清原頼業, 『春秋左氏伝』 の校訂を終える(続本朝通鑑)。
「本朝通鑑」の情報だけではなく、「本朝通鑑」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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秋夜長物語(日本国語大辞典)
解説・用例南北朝時代の男色稚児(ちご)物語。一巻。作者未詳。比叡山の僧桂海と、三井寺の稚児梅若との悲恋と、それをめぐって起きた三井寺と比叡山の争いを描く。桂海は後に東山雲居寺を建立して膽西(せんさい)上人と仰がれる。発音アキノヨノ=ナモノタリ[ア]
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