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ジャパンナレッジで閲覧できる『後鑑』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典

日本大百科全書(ニッポニカ)

後鑑
のちかがみ

江戸幕府が編纂 (へんさん)した足利 (あしかが)将軍家に関する歴史書。鎌倉幕府の『吾妻鏡 (あづまかがみ)』に倣って奥儒者成島良譲 (なるしまりょうじょう)(筑山 (ちくざん))が編集にあたった。1853年(嘉永6)成立。原本は旧内務省地理課に伝来したが関東大震災で焼失。『徳川実紀』の影響を受け、将軍一代ごとに事績を編年体で掲示し、あわせてその典拠を明示する編集方針をとっている。江戸時代の考証学の発展を背景とし、古記録・古文書などの史料自体を掲載しているため、現在散逸した古文書多数を含み、史料集としても貴重。編集材料には、国立公文書館所蔵の古記録・古文書が多く利用されている。『国史大系』所収。

[今谷 明]



世界大百科事典

後鑑
のちかがみ

室町幕府に関する記録。江戸幕府の修史事業の一環として,奥儒者成島良譲(筑山)が足利将軍の事跡や室町幕府の関係者の活動を中心に編集した歴史書。1853年(嘉永6)完成。1331-1597年(元弘1-慶長2)を将軍により区分し,〈某将軍記〉と題する本編347巻と同記の付録20巻よりなる。編年体で日ごとに綱文を立て記録,戦記,古文書を掲載する。引用史料は正確で,現在散逸し本書のみが伝えるものもある。《新訂増補国史大系》所収。
[鳥居 和之]

[索引語]
成島良譲 成島筑山


国史大辞典

後鑑
のちかがみ
江戸幕府が編纂した室町幕府の歴史書。幕府の奥儒者成島良譲(筑山)が幕命により天保八年(一八三七)着手、嘉永六年(一八五三)完成。良譲のほか佐藤重七郎・辻竜之助ら幕臣九名が編纂に従事した。本記三百四十七巻、付録二十巻。元弘元年(一三三一)足利尊氏の父貞氏の死去、尊氏京都発向から、慶長二年(一五九七)足利義昭死去までを内容としている。終期について編者は、天正元年(一五七三)義昭出走までが正記で、その後、卒去までは付記であると説明している。体裁は歴代将軍ごとに「某将軍記」とし、編年体により、日次にかけて綱文を記し、典拠史料を掲げるものである。各将軍記のはじめには、生母のこと、出生から官位昇進の次第を記す。各巻は半年ないし一年分である。義量・義尚没後の、義持・義政執政期、および義稙復職後は、それぞれ義持・義政・義稙将軍後記としてたてている。内容は将軍の事蹟のみに限らず、管領・四職・奉行などの任免や生没、問注所・政所・五山僧などの動静にも留意し、関東・九州の情況から各国大名の事蹟まで触れている。これは幕府に直接関係ないことでも、将軍は全国の兵馬の権を掌握しているものという、編者の見解によるものである。そのほか朝廷のことは、幕府に関係するもの、および将軍が参加しているのは採録し、南朝についても同様である。天変地異、明・朝鮮・琉球との対外関係もすべて収録している。将軍の詠歌などは付録としてある。次に、典拠として史料本文を掲げているのも本書の特徴である。本書は幕府関係機関の蒐集した史料を多数利用しているが、それは、公武および僧徒の記録、古文書、法令集、戦記・軍記、詩文集、故実書などと多岐にわたり、その数は各種文献約六百五十種、古文書百三十種に及んでいて、室町時代の基本的史料集となっている。原本は大正十二年(一九二三)の関東大震災で焼失したが、それ以前の明治三十五年(一九〇二)―三十七年に刊行された『続国史大系』六―八に収録されたほか、『(新訂増補)国史大系』三四―三七にも収録されている。また、内閣文庫および東大史料編纂所に稿本が所蔵されている。
[参考文献]
坂本太郎『日本の修史と史学』(『坂本太郎著作集』五)、羽下徳彦「後鑑」(坂本太郎・黒板昌夫編『国史大系書目解題』上所収)
(飯倉 晴武)
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検索コンテンツ
1. こう‐かん【後鑑・後鑒・後監】
日本国語大辞典
了、為〓後鑒〓
2. 『後鑑』
日本史年表
1853年〈嘉永6 癸丑〉 この年 成島良譲(筑山)編 『後鑑』 成る。
3. 後鑑
日本大百科全書
江戸幕府が編纂へんさんした足利あしかが将軍家に関する歴史書。鎌倉幕府の『吾妻鏡あづまかがみ』に倣って奥儒者成島良譲なるしまりょうじょう(筑山ちくざん)が編集にあ
4. 後鑑
世界大百科事典
室町幕府に関する記録。江戸幕府の修史事業の一環として,奥儒者成島良譲(筑山)が足利将軍の事跡や室町幕府の関係者の活動を中心に編集した歴史書。1853年(嘉永6)
5. のちかがみ【後鑑】
日本国語大辞典
江戸後期の歴史書。三四七巻、付録二〇巻。成島良譲(筑山)らの編。嘉永六年(一八五三)成立。江戸幕府の修史事業の一環としてなされたもの。室町幕府の歴史を中心に、元
6. のちかがみ【後鑑】画像
国史大辞典
所蔵されている。 [参考文献]坂本太郎『日本の修史と史学』(『坂本太郎著作集』五)、羽下徳彦「後鑑」(坂本太郎・黒板昌夫編『国史大系書目解題』上所収) (飯倉 
7. 後鑑録(著作ID:563257)
新日本古典籍データベース
こうかんろく 金井五郎(かないごろう) 随筆 慶応元
8. 『後鑑』構成一覧[図版]画像
国史大辞典
 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. 
9. 石神後鑑記(著作ID:90277)
新日本古典籍データベース
いしがみこうかんき 石神後鑑 石上後鑑記 岡部梅林(おかべばいりん) 戦記 
10. 智囊後鑑(著作ID:44597)
新日本古典籍データベース
ちのうこうかん 雑史 
11. 忠誠後鑑録(著作ID:44906)
新日本古典籍データベース
ちゅうせいごかんろく 小川恒充(おがわつねみつ) 編 雑史 宝永四自序
12. 武陽後鑑(著作ID:1677163)
新日本古典籍データベース
ぶようのちかがみ 教訓 
13. あぎむら【阿木村】岐阜県:中津川市
日本歴史地名大系
「永享以来御番帳」や「文安年中御番帳」、長享元年(一四八七)六月の常徳院殿様江州御動座当時在陣衆着到(「後鑑」巻二四一所収)に遠山阿城孫太郎の名がみえ、遠山氏の
14. あしかがはるおう【足利春王】
国史大辞典
一四三一―四一 室町時代前期の武将。鎌倉公方持氏の三男。『後鑑』所引『持氏物語』には「しゆん王どの」とある。永享十一年(一四三九)二月、父持氏が永享の乱に敗れ
15. 足利義晴
日本史年表
,近江より入京(御湯殿上日記)。 1536年〈天文5 丙申⑩〉 8・19 足利義晴,和を乞う証如を赦す(後鑑所収御内書案)。 1541年〈天文10 辛丑〉 11
16. いがのくに【伊賀国】三重県
日本歴史地名大系
この辺りをめぐって津藩と柳生藩の間に国境論争があり、津藩郡奉行友田角左衛門の一件書類の御国絵図後鑑(上野市立図書館蔵)が残る。北は現阿山郡阿山町の槙山と丸柱の間
17. いそうのしょう【石負庄】兵庫県:氷上郡/氷上町/石負村
日本歴史地名大系
)。応永三一年(一四二四)領家の中御門宗言が死去し、元の領家である三条公頼に返付されている(「後鑑」応永三一年五月二三日条所引「兼信公記」)。その後元亀二年(一
18. いため【痛】
日本国語大辞典
〔名〕(動詞「いためる(痛)」の連用形の名詞化)「いためぎんみ(痛吟味)」の略。*法曹後鑑‐牢問致方之事〔1773か〕(古事類苑・法律六〇)「牢問致方は、囚人え
19. いなばのくに【因幡国】鳥取県
日本歴史地名大系
大永七年五月六日将軍足利義晴は但馬守護山名誠豊と因幡守護山名豊治に御内書を発し、和与を重ねて命じている(後鑑)。両者の対立はおそらく永正初年にさかのぼるであろう
20. いわいのしょう【岩井庄】鳥取県:岩美郡/岩美町
日本歴史地名大系
兵庫頭経実の知行分である当庄を経実に渡すよう意見させており(同年七月一七日「足利義晴御内書案」後鑑)、同年八月一九日、経実は右の礼として太刀一振を将軍に進上して
21. いわくらじむら【岩峅寺村】富山県:中新川郡/立山町
日本歴史地名大系
である。一方、地頭職分は同四年八月六日および嘉慶元年(一三八七)九月六日の足利将軍家御教書(「後鑑」・猪熊信男所蔵文書)により、幕府奉公衆進士次郎政行に給されて
22. いわくらじょうあと【岩倉城跡】鳥取県:倉吉市/岩倉村
日本歴史地名大系
このとき満祐の首をとったのが伯耆守護山名教之の被官小鴨氏で、この功により太刀・腰物を下されている(「後鑑」同年九月一八日条など)。この頃小鴨氏は教之のもとで守護
23. ええばらむら【家原村】兵庫県:加東郡/社町
日本歴史地名大系
同氏七代長祥は嘉永元年(一八四八)に同寺境内に赤穂四十七義士供養碑を建立、寺禄一二石を付与した(「大悲山観音禅寺後鑑」山本家文書)。毎年一二月一四日に義士にちな
24. えぼしがたじょうあと【烏帽子形城跡】大阪府:河内長野市/喜多村地図
日本歴史地名大系
に布陣したのに対し、畠山稙長が「エホシカタト云所」へ寄りつめ、そのため義英は紀州へ敗走した(「後鑑」所引「祐維記」同年一二月九日条)。戦国時代にも、南河内と紀州
25. おうみこくふあと【近江国府跡】滋賀県:大津市/南部地域/大江村
日本歴史地名大系
位下多治比真人水守で、近江国府の成立も八世紀初頭にさかのぼることが知られる。またその廃絶は、「後鑑」明徳三年(一三九二)八月二八日条にある赤松近江守源則春を最後
26. おおやがわ【大谷川】茨城県:下館市
日本歴史地名大系
之条、影沢・母子島之申分不届ニ相聞候、然上ハ右之新堰破之堰溝可埋之、勿論向後新堰不可致之、仍為後鑑絵図令裏書双方え下置之間不可違失者也」(「水論之事」渡辺哲家文
27. 伽婢子 2 310ページ
東洋文庫
た時の話(『古今著聞集』巻一〇)等で著名。な おこの馬場は応永二年(一三九五)の観世太夫の 猿楽(『後鑑』)、天正一五年(一五八七)の豊臣 秀吉の北野大茶湯(『
28. 家訓集 30ページ
東洋文庫
また柳に件の暦に注し付くべし。ただしその中の要枢の公事および君父所在のこと等は、別にもてこれを記して後鑑に備ふべし。 凡そ君のためには必ず忠貞の心を尽し、親のた
29. かこのしょう【賀古庄】兵庫県:加古川市/旧加古郡地区
日本歴史地名大系
建武元年(一三三四)四月二〇日、赤松円心は賀古庄などを勲功賞として後醍醐天皇より与えられた(「赤松円心安堵状」後鑑)。嘉吉の乱後の嘉吉元年(一四四一)九月二三日
30. かさいじようあと【葛西城跡】東京都:葛飾区/青戸村地図
日本歴史地名大系
[現]葛飾区青戸七丁目 中川右岸、同川から約二五〇メートルに位置する平城跡。史料には葛西要害などとみえる。「後鑑」文明一七年(一四八五)一〇月三日条に引く「大関
31. 甲子夜話続篇 1 52ページ
東洋文庫
拠又薬師寺、観世音寺の 両戒壇にても、各其近国の僧、比丘の戒を受、五年 過て後、夫々の宗を学し候。其後鑑真和尚、又和州 の唐招提寺に一つの戒壇を建られ候。此等の
32. 甲子夜話続篇 2 308ページ
東洋文庫
甚難二其不弁→官施二新政→榜二街頭→許放二売買4田漢踊躍而転輸。因レ此米価亦漸損也。錐二政之細者→録以為二後鑑4副記走徒族擁而集浜御殿之門前4衛士堅閉不レ許レ入
33. かまくらおおにっき【鎌倉大日記】
国史大辞典
鎌倉御所足利氏を中心とした武家年表。一巻。従来は彰考館本系統の『鎌倉大日記』が流布し、『後鑑』などにも採録され、昭和十二年(一九三七)には頼朝会から刊行された
34. かみいずみのぶつな【上泉信綱】画像
国史大辞典
各所で演じている。天覧にも供したといわれる。かくて元亀元年六月二十七日従四位下に叙せられた(『後鑑』)。その後『言継卿記』元亀二年七月二十一日条によれば信綱が言
35. かみやのしょう【紙屋庄】新潟県:長岡市
日本歴史地名大系
実相院には替地を与えることが決定され(満済准后日記)、翌月五日にはその旨の御内書が発給されている(後鑑)。しかし翌年三月になって当庄の代官職を同じく持氏と対立す
36. かめのおじょうあと【亀丘城跡】長崎県:壱岐郡/郷ノ浦町/武生水村
日本歴史地名大系
・立石三河・松本左近ら壱岐の六人衆に攻められて討死、同二年弟の波多重も討たれている(華光寺前亀後鑑鬼簿)。しかしこの蜂起に反対する勢力が波多親を擁立、なお波多氏
37. からすやまじょうあと【烏山城跡】栃木県:那須郡/烏山町/烏山城下
日本歴史地名大系
舂屋、雑部屋、長屋、神長門内枡形、滝田門外枡形、牢屋、郷倉(赤坂町北表二棟)などである(「法曹後鑑」など)。また常春は郭内に学問所とよばれる藩校を設立した。忠胤
38. かんきこうじ【歓喜光寺】京都市:山科区/大宅村地図
日本歴史地名大系
一一日(花営三代記)・応永二六年五月二六日(看聞日記・康富記)・正長元年(一四二八)二月六日(後鑑)・永享六年二月一四日(看聞日記)・同八年四月八日(看聞日記)
39. がんじん【鑑真】画像
国史大辞典
の十僧を必要条件とする授戒制度により、同十四年に楊州大明寺の鑑真に日本への渡航を懇願した。その後鑑真一行の渡航は五回企てられたが、妨害(第一・四回)や難破(第二
40. きたいかいむら【北猪飼村】三重県:桑名郡/多度町
日本歴史地名大系
以後同下総守・同五郎などとあり、至徳二年(一三八五)正月二三日射手として、同次郎左衛門尉詮行があり(大的日記「後鑑」所収)、応永二八年(一四二一)から同三二年に
41. きたのてんまんぐう【北野天満宮】京都市:上京区/翔鸞学区/馬喰町地図
日本歴史地名大系
北野社における芸能記事は多い。応永二〇年七月一〇日より北野で七日間にわたって観世大夫の勧進猿楽が行われたという(後鑑)。また同二九年三月二九日には北野神前で田楽
42. きろく【記録】画像
国史大辞典
別日記」は別記の存在を示す早い例であり、『九条殿遺誡』には要枢の公事は暦記とは別に詳しく記して後鑑に備うべしと訓え、師輔自身多くの別記を残している。藤原頼長も康
43. くすのきみつまさ【楠木光正】
国史大辞典
辞世の漢詩と和歌とが伝えられているが、その一首に「夢のうちに都の秋のはてはみつ心は西に在明の月」とあった(『後鑑』『看聞御記』)。 (三浦 圭一)
44. くまがわむら【熊川村】福井県:遠敷郡/上中町
日本歴史地名大系
)頃には瓜生庄下司沼田氏が当地に熊川城を築城、同一〇年足利義昭の若狭入国に際して沼田氏が助援(後鑑)、義昭は熊川城に一宿した(熊川区有文書)。また同一二年五月、
45. くらはしのしょう【椋橋庄】大阪府:豊中市
日本歴史地名大系
でないが、建武三年(一三三六)足利尊氏は椋橋庄を東大寺に寄進(同年正月二三日「足利尊氏寄進状」後鑑)、延文二年(一三五七)には同庄雑掌真勝の訴えにより、利倉左衛
46. けいざいだいひろく【刑罪大秘録】
国史大辞典
一八一四)四月に編集して一巻となせしを稲葉丹後守正守のうつしおかれしを、今なをうつして評定所の後鑑に備ふ 天保十一年(一八四〇)四月」とある。これによってその成
47. こくしたいけい【国史大系】
国史大辞典
5吾妻鏡(後)・附録(宗尊親王鎌倉御下向記・建長四年政所始次第・関東開闢皇代并年代記・武家年代記) 6―8後鑑(成島良譲編) 9―15徳川実紀(成島司直) 〔(
48. このぐん・いわいぐん【巨濃郡・岩井郡】鳥取県:因幡国
日本歴史地名大系
因幡守護山名誠通(久通)は天文七年(一五三八)頃三上氏の所領岩井庄を侵害(同年七月一七日「足利義晴御内書案」後鑑)。同一〇年六月に誠通は「岩井表」で合戦を行って
49. このむら【小野村】福井県:武生市/旧丹生郡地区
日本歴史地名大系
山ニ致来候上ハ、向後参剥山入会場ニ、新林焼畑一切不可致之裁許之趣、双方江書下条可為後鑑致者也とある。山元二ヵ村が、山手米銀を取りながら入会権を犯したことに対する
50. こやのしょう【小屋庄】兵庫県:伊丹市/昆陽村
日本歴史地名大系
造営のために同寺に付している(「東宝記」徴古雑抄)。さらに同書巻二・「後鑑」巻一七によると、暦応四年(一三四一)四月には建武三年六月(「後鑑」では四年)に落雷で
「後鑑」の情報だけではなく、「後鑑」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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