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北条五代記

ジャパンナレッジで閲覧できる『北条五代記』の国史大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典

北条五代記
ほうじょうごだいき
小田原北条氏にかかわる記事を集録した文献。十巻。著者は北条氏の家臣であった三浦茂正(法名浄心)。その序文に『慶長見聞集』の著者三浦茂正の旧友であった某が、同書の中から小田原北条氏に関する記事を選び出して十冊にまとめ、『北条五代記』と名付けたと記している。編者は未詳であるが、その成立はほぼ元和年間(一六一五―二四)とみられる。体裁は一条ごとに項目を立て、「聞しは昔」「見しは昔」などで書き始めている。内容面では、享禄元年(一五二八)に玉滝坊という山伏が和泉の堺で購入した鉄砲を北条氏綱に進上していること、北条氏が中国貿易を行なっていたことなど、注目される記述もある。寛永版と万治版があり、前者は七十四条から成っているが、後者はそれよりも十数条少ない。刊本としては、万治版が『(改定)史籍集覧』五に、また寛永版が『北条史料集』(『戦国史料叢書』第二期一)に収録されている。→慶長見聞集(けいちょうけんもんしゅう)
(佐脇 栄智)


世界大百科事典

北条五代記
ほうじょうごだいき

後北条氏の早雲,氏綱,氏康,氏政,氏直5代の逸話を集めた書。10巻。本書中に,北条氏の遺臣三浦浄心の著《見聞集》(32巻)から,北条氏にかかわる記事を抄録したものと述べられている。抄録者については未詳。北条氏の盛衰を項目をたてて記載しているが,史料として使用するには検討が必要である。諸刊本は項目数,内容に若干相違が見られる。《改定史籍集覧》所収。
[下村 信博]

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1. 北条五代記
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後北条氏の早雲,氏綱,氏康,氏政,氏直5代の逸話を集めた書。10巻。本書中に,北条氏の遺臣三浦浄心の著《見聞集》(32巻)から,北条氏にかかわる記事を抄録したも
2. ほうじょうごだいき[ホウデウゴダイキ]【北条五代記】
日本国語大辞典
江戸前期の軍記。一〇巻一〇冊。三浦浄心作。寛永一八年(一六四一)刊。著者が仕えた、後北条氏関係の合戦譚・逸話を集めた軍記。年代順に記されていず、随筆的要素が強い
3. ほうじょうごだいき【北条五代記】
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浦茂正の旧友であった某が、同書の中から小田原北条氏に関する記事を選び出して十冊にまとめ、『北条五代記』と名付けたと記している。編者は未詳であるが、その成立はほぼ
4. 北条五代記(著作ID:56713)
新日本古典籍データベース
ほうじょうごだいき 絵本北条五代記 三浦浄心(みうらじょうしん) 雑史 寛永一八刊
5. 北条五代記(著作ID:56735)
新日本古典籍データベース
ほうじょうごだいき 絵入/北条五代記 浄瑠璃 元禄一〇刊
6. 北条五代記会説(著作ID:1696668)
新日本古典籍データベース
ほうじょうごだいきよりあいばなし 奈河亀輔一世(ながわかめすけ1せい) 並木五瓶一世(なみきごへい1せい) 脚本 安永五初演
7. 北条五代記会説(著作ID:1696679)
新日本古典籍データベース
ほうじょうごだいきよりあいばなし 絵本番附 
8. あし‐なか【足半】画像
日本国語大辞典
04〕「Axinaca (アシナカ)〈訳〉足裏の半分にもとどかない、日本風の麦藁製履物」*北条五代記〔1641〕七「小熊は、鼠色の木綿あはせに、あさきの木綿はか
9. あたけ【安宅】
日本国語大辞典
(アタケ)〈訳〉大きな舟の名」*甲陽軍鑑〔17C初〕品一七「海賊衆〈略〉小浜 あたけ一艘、小舟十五艘」*北条五代記〔1641〕七・駿河海にて船軍の事「氏直伊豆の
10. 数多交わりて事なかれ
故事俗信ことわざ大辞典
交際を広くして、しかも何の問題も起こらないようにせよ。 北条五代記(1641)一・伊豆早雲氏茂由来之事「数多ましはりて事なかれと云事あり、なに事も人にまかすへき
11. あらいじょうあと【新井城跡】神奈川県:三浦市/小網代村地図
日本歴史地名大系
永正九年(一五一二)から同一三年にかけて北条早雲が攻城し、兵粮つきた義同・義意父子は討死(北条五代記)、三浦氏は滅亡した。「北条五代記」は当城の様子を「此城南西
12. 伊豆国
世界大百科事典
られたとする官船枯野の伝説のほか,《万葉集》には伊豆手船の名もみえる。原 秀三郎 中世 《北条五代記》に〈伊豆の国は三郡山国也〉とみえ,田方,那賀,賀茂に分かれ
13. いずのくに【伊豆国】静岡県
日本歴史地名大系
国内は混沌としていた。そのなかで伊豆西海岸の武士たちは早くに早雲の支配を受入れたという。「北条五代記」によれば、松下(現沼津市の三津)・鈴木(現同上の江梨)・富
14. いっ‐さんまい【一三昧】
日本国語大辞典
ことにかまわず、もっぱらそのことにだけ心を尽くすこと、いちずであること。また、そのさま。*北条五代記〔1641〕三・北条氏康と上杉憲政一戦の事「若君様御誕生以来
15. いっしょ‐けんめい【一所懸命】
日本国語大辞典
は、世になきこじうとにくみし、一所懸命うしなはんと、よも申さじと存知しらする事も候はず」*北条五代記〔1641〕三・軍法昔にかはる事「此所帯に身命を売切たる故に
16. いっしょけんめいのち【一所懸命地】
国史大辞典
買っていつかその害に遭うかも知れない」(意訳)とことさらに裁決を下さなかったという。また『北条五代記』に「是は頼朝公より以来我家につたはる所領なり、此所領なかり
17. いっ‐ちょう[‥チャウ]【一丁・一梃】
日本国語大辞典
イッチャウ 〓(すき)鍬」*北条五代記〔1641〕三・関八州に鉄炮はじまる事「彼鉄炮は八郎が弓にも勝るなるべし。所帯にかへても一挺
18. いり‐むこ【入婿】
日本国語大辞典
贅子(ぜいし)。入縁(いりえ)。*史記抄〔1477〕一二・張陳「女家─入り婿のやうなぞ」*北条五代記〔1641〕五・八丈島へ渡海の事「むかしより家主は女にて、男
19. うで‐ぬき【腕貫】画像
日本国語大辞典
之」*玉塵抄〔1563〕三五「刀のつかには環があるぞここらのうでぬきのやうな心ぞ」*北条五代記〔1641〕四・関東長柄刀の事「関東北条氏直時代まで長柄刀とて人毎
20. うま‐じるし【馬印・馬標】画像
日本国語大辞典
は、馬しるしといふ事なかりき。元亀のころよりはじまり、次第に長して、今はしるしの要とす」*北条五代記〔1641〕一〇・秀吉公関東発向「御馬しるし、金のへうたんを
21. えいらく‐せん【永楽銭】
日本国語大辞典
于日本〓事」*北条五代記〔1641〕目録「関東永楽銭すたる事」*草廬雑談〔1738〕下・永楽銭「天文十九年の頃は、関
22. 江戸近郊道しるべ 236ページ
東洋文庫
始てこ』にこし時は、米の焦たるが、猶土に交りてありし也 四 国分寺は、この時義明敗軍焼と云、これら『北条五代記』『古戦録』に載す  文明十一年七月下総に一揆起り
23. 江戸繁昌記 1 68ページ
東洋文庫
鳥が藪に集まるように、物事の集中する所をいう (堅)伝に云ふ 以下のことは、『小田原記』、『北条五代記』、『相州兵記』ならびに『江戸砂子』などの文献に見える (
24. えなしむら【江梨村】静岡県:沼津市/旧君沢郡地区
日本歴史地名大系
を江梨五ヵ村とも称している。古代の田方郡吉妾郷瀬崎(瀬前)里を大瀬崎付近とする説もある。「北条五代記」などによると明応二年(一四九三)伊勢長氏(北条早雲)が伊豆
25. おお‐けいず[おほケイヅ]【大系図】
日本国語大辞典
【一】〔名〕諸氏の系図を集大成したもの。洞院公定の「尊卑分脈」はその一典型。*北条五代記〔1641〕一・関東天文乱の事「夫武家の大系図は神武より以来を記し、和漢
26. おおみごう【大見郷】静岡県:田方郡/中伊豆町
日本歴史地名大系
のなかに「大見の三人衆」と号して「梅原木工ゑもん・さとう四郎兵衛・うへむら玄番」がみえる(北条五代記)。「大見三人衆由緒書」には佐藤藤左衛門尉・梅原六郎左衛門尉
27. おおもりやま【大森山】静岡県:裾野市/深良村
日本歴史地名大系
なお明応二年(一四九三)伊勢長氏(北条早雲)の伊豆国侵攻にあっても、足利茶々丸は大森山に退去したというが(「北条五代記」など)、これについては現韮山町の守山とも
28. おお‐やつか[おほ‥]【大矢束】
日本国語大辞典
〔名〕矢の非常に長いもの。長矢束(ながやつか)。*北条五代記〔1641〕三・関八州に鉄炮はじまる事「昔、鎮西八郎為朝は大矢束を引、日本無双の精兵なり」
29. おかざきじょうあと【岡崎城跡】神奈川県:伊勢原市/大句村地図
日本歴史地名大系
押領す」とみえる。三浦氏の在城は永正九年(一五一二)八月一三日、北条早雲に攻略されるまで続いた(北条五代記)。同年八月七日付三浦義同感状写(県史三)はこの合戦の
30. おだわらじょうあと【小田原城跡】神奈川県:小田原市/小田原城下地図
日本歴史地名大系
池水は湛々として浅深はかるべからず、白鳥そのほかの水鳥翼々然たり」と城の威容を伝えている。北条氏の末期には「北条五代記」によれば、東西五〇町、南北七〇町、周囲五
31. おだわらせいばつ【小田原征伐】画像
国史大辞典
ここに天下統一が成ったのである。文献としては、『北条五代記』『異本小田原記』『関八州古戦録』『太閤記』など、古来より戦記類が少なくない。特に『北条五代記』は作者
32. 小田原評定
世界大百科事典
けた評定所を指すという説もある。後北条氏の奉行衆が毎月2回小田原で評定した話は,三浦浄心《北条五代記》(1641)にみえている。下村 信博 小田原談合 小田原咄
33. おだわら‐よう[をだはらヤウ]【小田原様】
日本国語大辞典
〔名〕小田原の北条氏の勢いが盛んであった頃、その家臣などの間に行なわれた特有の風俗、または気風。*北条五代記〔1641〕五・関東昔侍形義異様なる事「上下のひだの
34. 伽婢子 1 160ページ
東洋文庫
北条氏康の家臣伊勢兵庫頭の体験とするのだが、この発端部は北条家の臣   だった三浦浄心の著する『北条五代記』巻五の「八丈島渡海の事」と「江雪入道一興の事付男女
35. 伽婢子 1 166ページ
東洋文庫
里見方は大敗し、国家衰運の緒となったのだった(史実的には義尭・義広  父子で本話とそぐわぬ処あるが、『北条五代記』巻五「下総高野台の合戦の事」は「義広・義高父 
36. 伽婢子 2 232ページ
東洋文庫
事』) 『甲陽軍鑑』品一七六1伊勢兵庫仙境に到る 「処士元蔵幾自言云々」(『杜陽雑編』 『北条五代記』五 下) 2長生の道士 「羅浮先生云々」(『杜陽雑編』下)
37. 伽婢子 2 258ページ
東洋文庫
西明寺時頼↓北条時頼坂見岡江雪(六ノー) 姓は「板部岡」が正しい。 戦国時代の武将。後北条家の家臣。『北条五代記』 (巻五)は伊豆下田の出身、真言僧あがりで氏直
38. 伽婢子 2 259ページ
東洋文庫
そのあと家康にも仕えた とするが、本話は、「一年、江雪斎八丈仕置とし て渡海の時節」とする『北条五代記』に近いもの の、時代は異なる(本話では氏康の代)。『五代
39. 伽婢子 2 292ページ
東洋文庫
れて住吉、新井城と退転す るが、同二二年、籠城の兵糧尽きて門を開いて打 ちいで討死した。『北条五代記』(巻九)は道寸を 平安末から鎌倉初期にかけて活躍した名族三
40. 伽婢子 2 325ページ
東洋文庫
地。真間の北。国府台・高 野台とも表記。北条(氏康)・里見(義広)の古 戦場として著名(『北条五代記』巻五)。河野の新城(ニノ2) 越前国南条郡河野(福井県 南
41. おんな に 三(み)つの家(いえ)なし
日本国語大辞典
世初〕「三界に垣もなし。六道にほとりなし。女に三つの家なしと、爰(ここ)を仏のとき給ふ」*北条五代記〔1641〕五・八丈島渡海の事「仏は五障三従と説給ひて女に三
42. 女に三つの家無し
故事俗信ことわざ大辞典
近世初)「三界に垣もなし。六道にほとりなし。女に三つの家なしと、爰(ここ)を仏のとき給ふ」北条五代記(1641)五・八丈島渡海の事「仏は五障三従と説給ひて女に三
43. かい‐さん【開山】
日本国語大辞典
配祖考とは周は后稷が開山で」*玉塵抄〔1563〕一一「杜康は酒をつくりはじめた開山なり」*北条五代記〔1641〕二・七「件の両将は前代未聞、弓矢の中古開山、権化
44. かい‐ぞく【海賊】
日本国語大辞典
見て武田がたの海賊、間宮・小浜・伊丹大隅・岡部忠兵衛衆をのをの舟をはやめ、北条衆を追かけ理運にしてもどる」*北条五代記〔1641〕九・戦船を海賊といひならはす事
45. かい‐たけ【開茸】
日本国語大辞典
〔名〕(「開」は女陰)女陰にできるはれ物。*北条五代記〔1641〕六・〓男とやもめ女うったへの事「我三年以前男とはなれ、其年より何
46. かぎ‐やり【鉤槍】
日本国語大辞典
〔名〕槍の柄のけら首に近いところに、鉄の鉤を十文字につけたもの。敵の槍をからみ落とすのに用いる。*北条五代記〔1641〕四・関東長柄刀の事「当世はかき鑓とて、く
47. かず‐や【数矢】
日本国語大辞典
〔名〕下卒に持たせるため作られた揃いの矢。足軽などが用いる。*北条五代記〔1641〕五・昔矢軍の事「矢印を書付、右の数矢をもて、敵のそなへを射くつす」*浄瑠璃・
48. かた を 窄(すぼ・つぼ)める
日本国語大辞典
肩をちぢめる。寒さを感じたり、おそれ入ったり、肩身せまく思ったりするさまにいう。*北条五代記〔1641〕一・犬也入道弓馬に達者の事「こつがひの体にて、爰やかしこ
49. 肩を窄める
故事俗信ことわざ大辞典
寒さを感じたり、恐れ入ったり、はずかしく思ったりするさまなどを肩であらわす時にするしぐさ。 北条五代記(1641)一・犬也入道弓馬に達者の事「こつがひの体にて、
50. カツオ画像
日本大百科全書
現在のたたきとは異なる。これに対しカツオの腸を塩辛にしたのがいわゆる酒盗である。河野友美大滝 緑民俗『北条五代記』には、北条氏綱うじつなが1537年(天文6)の
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