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三遊亭円朝

ジャパンナレッジで閲覧できる『三遊亭円朝』の日本架空伝承人名事典・日本近代文学大事典・日本大百科全書のサンプルページ

新版 日本架空伝承人名事典

三遊亭円朝
さんゆうていえんちょう
1839‐1900(天保10‐明治33)
 幕末・明治の落語家。本名出淵いづぶち次郎吉。父は落語家橘家円太郎。七歳で小円太を名のり初高座。一時、画工を志し歌川国芳に浮世絵を学ぶものの、再び落語家に戻り、二〇歳で三遊亭円朝となる。画技を生かした道具入り正本芝居咄で人気を博したが、師匠二代目三遊亭円生より受けたいじめを契機に『かさねヶ淵後日の怪談』をつくり、のちに改め素咄『真景累ヶ淵』とした。一八八四年(明治一七)、速記本の魁『怪談牡丹灯籠』を刊行、言文一致体小説に影響を与え、翌八五年出版の『塩原多助一代記』の主人公多助(実在の人物名は太助)は修身の教科書にも掲載された。この両作はもとより円朝の作品は劇化されやすく、今日も上演されている。山岡鉄舟らに参禅、ついに悟りを開き、無舌の居士号を得た。
[延広 真治]
 茲に円朝の父円太郎は、円朝が師円生の為に其噺をなすを得ず再三困りたる由を聞き、斯の如き事にては円朝はさぞかし難儀なるべければ、是よりは我中入前をつとめ、円朝に充分の噺をなさしめんと、さすがに子を思ふ親心、夫より円朝が出席毎には円太郎も同席して中入前をつとむるにぞ、円朝も噺の都合よく、且其噺とて先の如く取次ぎし噺にあらずして皆新作なるをもて聴客ききても大に満足し、円朝が鳴物噺といへば、湯屋、髪結床の噂高く、席亭も為に仕合せしけり。然るに円生は、円太郎が円朝を助けて中入前を打つ事となりしより、之をいたく憤りしものか、其気色の悪しければ、円朝は殿の不興を蒙りし如く、自然足遠くなりたる折柄、きに円朝が未だ二つ目を打ち居りし頃の弟子なる小勇といへる者、至つて放蕩者にして、弟子とはいへ円朝と共に出席せし事少く、初めこそ円朝の家に居りたれ、後には円朝の家へ来る事も稀なりしが、此者何時しか円生の家へと入込み、円生に向つて頻に媚を呈しつゝ、諂諛へつらいを専らにせし程に、円生は又なき者と之を思ひ、遂に我弟子となし、頓て円太とぞ名乗らしける。此円太といへる芸は、元祖古今亭新生しんしようが初名にして、三遊の門派にてはめでたき芸名なれば、誇り顔にて円朝には是見よがしの振舞をなしゝ末、円朝を仰向けんとの意気組にて円生をば中入前に頼みつゝ、こも又鳴物噺を始め、道具を飾て真を打ちける。
三遊亭円朝の履歴


日本近代文学大事典

人名
三遊亭 円朝
さんゆうてい えんちょう
天保10・4・1~明治33・8・11
1839~1900
本文:既存

落語家。江戸湯島切通し町生れ。本名出淵いずぶち次郎吉。父は、音曲師橘屋たちばなや円太郎こと長蔵。出淵家は、加賀大聖寺だいしようじ藩士だったが、祖父大五郎は妾腹のために葛飾かつしか新宿村で農業をいとなんで長蔵を得、彼を武士にするために本家にあずけたが、長蔵は、武家生活をきらって、放浪のすえ、左官職から芸人になった。次郎吉は、七歳で小円太と名乗って初高座をつとめたが、母おすみと次郎吉の義兄にあたる僧玄昌とは、次郎吉の芸界入りに反対し、下谷池の端の紙商兼両替商の葛西屋に奉公させた。しかし、次郎吉が病気になって帰宅したので、玄冶店げんやだなの浮世絵師歌川国芳くによしのもとで、画家として修業させた。この修業が、のちに、彼の売りものになった芝居ばなしの道具や背景をつくるさいにおおいに役立つことになるわけだが、彼は、ここでも病いを得て帰宅したので、ほかの職業には適せずと、当人も母も義兄もみとめたことから芸界に復帰し、父の師である二代目三遊亭円生に入門した。嘉永五年、義兄の住持する谷中長安寺に母と移り、その本堂で稽古し、兄のすすめで座禅を修業するなど、芸の基礎を形成した。安政二年、一七歳になった小円太は、初代円生の墓前において、衰微した三遊派の再興をちかい、決意もあらたに、従来、三遊派でもちいられていない円朝を名乗り、この年、真打ちに昇進した。六年、二一歳のとき、はじめての創作『かさねふち後日怪談』を自演したが、これは、明治になって、『真景累が淵』(明31・2 真砂座初演)として完成した。道具をかざり、鳴りものをいれ、はでな演出をみせる円朝の自作自演の高座は、しだいに人気を呼んだが、それを嫉妬した師匠の円生は、円朝を冷遇し、断交するにいたった。文久元年、二三歳の円朝は、『怪談牡丹燈籠』を創作し、いっそう注目されたが、その翌年に、師円生と義兄とが世を去る不幸をむかえた。三年、山々亭有人さんさんていありんど、仮名垣魯文、瀬川如皐じよこう、河竹新七などが、多くの文人、粋人たちに呼びかけ、三題噺の自作自演のグループ粋狂連すいきようれんを組織したさい、円朝もこれに参加したが、各分野の人物たちとの交際によって、多くの知識を得、題材的にも演出の上においてもプラスするところが多く、落語界に新風をおこした。明治二年、三一歳のとき、柳橋の芸者お幸と結婚し、四年一月、『菊模様皿山奇談』(若栄堂)、五年一月、『今朝春三組盃』(青盛堂)を、いずれも山々亭有人の補筆によって刊行した。同年、あたらしい時勢にかんがみ、従来のはでな道具噺の道具を、すべて弟子の円楽あらため三代目円生にゆずり、みずからは、扇子一本の素噺すばなしに転向した。同年四月、教部省から、新時代における国民の生活指針ともいうべき「三条の教憲」が発令され、文学界、劇界でも、旧来の作風からの転換をはかっていたが、寄席演芸の分野でも、講談界では、白浪ものを得意としていた松林伯円しようりんはくえんが、歴史もの、実録ものなどを自作自演して、演史家伯円などと呼ばれる方向転換ぶりをみせていた。このうごきをみた円朝は、新聞記事を材料としたはなしを高座にかけ、実地調査にもとづいて、『榛名の梅が香(安中草三)』や『塩原多助一代記』などの実録的人情噺を自作自演して、新時代の要請にこたえた。八年四月、落語家を中心にした寄席芸人の統一団体睦連むつみれんが結成されたさい、円朝は、六代目桂文治とともに、その相談役となった。一〇年、伊達自得居士に禅を教えられ、高橋泥舟、山岡鉄舟とも知った。とくに、山岡鉄舟とは交際深く、のちには、鉄舟のもとで禅に傾倒し、話術は、迫真軽妙をきわめ、無舌居士むぜつこじの号を付与されるにいたった。一二年四月、春木座において、円朝作の『業平文治なりひらぶんじ漂流奇談』が上演されたが、以後、多くの円朝作品が劇化されるようになった。一七年、若林玵蔵かんぞう、酒井昇造とによって、はじめて『怪談牡丹燈籠』が速記本として出版され、一八年にも、『塩原多助一代記』が刊行されるなど、つぎつぎに、その作品が活字化され、全国に普及して愛読された。それは、速記本のめずらしさも原因していたが、また、明治の新文学誕生寸前の低調な小説の代役を果たすことでもあった。一方、円朝のはなしの調子で小説を書けと、坪内逍遙にすすめられた二葉亭四迷が、『浮雲』の新文体によって、近代文学へのスタートをきったことからもあきらかなように、言文一致運動に貢献するところ大なるものがあった。一九年一〇月、「やまと新聞」が創刊されたさい、『松操美人生埋まつのみさおびじんのいきうめ』『蝦夷錦古郷家土産えぞにしきこきようのいえづと』をはじめ、つぎつぎに新作ものを連載したが、この創作活動は、現在の大衆文学の源流といえる。二四年四月、井上馨邸における園遊会のさい、『塩原多助一代記』を明治天皇の御前で口演した。同年六月、五三歳で寄席出演をやめるようになったが、創作はつづけておこない、モーパッサンの『親殺し』から『名人長二』、サルドゥーの『トスカ』から『錦の舞衣』などの翻案ものもてがけている。三〇年一一月、五九歳のとき、弟子のすすめで、ふたたび寄席に出演するようになったが、三二年一〇月、木原店きはらだな(日本橋通り)の高座における『怪談牡丹燈籠』の口演を最後として、ついには、下谷車坂町の自宅に没した。病名は、進行性麻痺兼続発性脳髄炎だった。墓地は、台東区谷中の全生庵。円朝は、人情噺、怪談噺、芝居噺など、江戸落語の各分野を集大成し、また、多くの後進を育成して、明治の東京落語界の隆盛をまねいた点において、芸能史上特筆されなければならないが、前記のように、文学界に果たした役割においても記憶されねばならない。明治にはいっては、いささか社会的名士の傾向があり、幕末における庶民的芸能人としての息吹きをうしなってしまった。

『円朝全集』全一三巻(大15~昭3 春陽堂)『三遊亭円朝全集』全七巻、別巻一(昭50~51 角川書店)。

(興津 要 1984記)

代表作

代表作:既存
怪談牡丹燈籠
かいだんぼたんどうろ
噺。初編明治一七・七、東京稗史出版社刊。円朝の作品中でも、もっともポピュラーにして、艶麗な怪談噺としてみとめられる作品だが、それとともに、前半における伴蔵夫婦のうらぶれた貧乏世帯の描写、しだいに小悪党ぶりを発揮して、幸手堤さつてずつみで女房を殺害するにいたる伴蔵の心理描写、孝助のいじらしいまでの誠実さなど、描写技術においてもかなりのものをみせている。
塩原多助一代記
しおばらたすけいちだいき
噺。初編明治一八・一、速記法研究会刊。円朝が、主人公の出身地上州沼田までいって資料収集をおこなった苦心の結果に成った実録もので、従前の怪談噺のように、たんなる因果応報、勧善懲悪におわっていないで、無一物の多助が、勤労と倹約の結果、みごとに財産をなすというストーリーになっていたことは、明治の新時代に立脚した作品の感が強く、それゆえに、多くの聴衆や読者にアピールしたのでもあった。
真景累が淵
しんけいかさねがふち
噺。「やまと新聞」に連載されたというが、年月日未詳。おなじ怪談噺とはいいながら、『怪談牡丹燈籠』の艶麗にたいして、凄惨の香りただよう力作で、宗悦殺しのすさまじさ、新五郎召捕りのスリル、年増女豊志賀の嫉妬に身を焼く哀れさ、執念のおそろしさなどの道具立ても十分で、天才円朝の面目躍如たる名作。
(興津 要 1984記)

全集

  • 『円朝全集』全13巻(1926~28 春陽堂)
  • 『三遊亭円朝全集』全7巻・別巻1(1975~76 角川書店)
  • 『円朝全集』全13巻・別巻2(2012~2016 岩波書店)
  • 付記

    「真景累が淵」の連載日に関しては、『円朝全集』第5巻「後記」(延広真治 2013 岩波書店)に「『やまと新聞』明治20年9月9日(280号)より21年3月1日(419号)まで、全97回連載」とある。
    分類:落語家
    修正PDF:1000002286.pdf
    既存新規:既存


    日本大百科全書(ニッポニカ)

    三遊亭円朝
    さんゆうていえんちょう
    [1839―1900]

    落語家。本名出淵 (いずぶち)次郎吉。2代三遊亭円生 (えんしょう)門人の橘家 (たちばなや)円太郎の子として天保 (てんぽう)10年4月1日江戸・湯島に生まれる。父と同じ2代円生に師事し、7歳で小円太と名のって寄席 (よせ)に出演したが、異父兄の臨済宗の僧玄昌の忠告で休席し、池の端の紙屋葛西 (かさい)屋へ奉公したり、玄冶店 (げんやだな)の一勇斎国芳 (くによし)に浮世絵を学んだりした。また、玄昌の住む谷中 (やなか)の長安寺に母と同居し、仏教の修学にも励んだ。これが後世における円朝の怪談噺 (ばなし)創作に強く影響した。のち、やはり落語家で身をたてることにし、2代円生門に復帰、17歳のときに円朝と改名して場末回りの真打 (しんうち)となった。くふうを重ねて道具入り芝居噺を演じ、自作自演でしだいに人気を獲得、1864年(元治1)26歳で両国垢離場 (こりば)の昼席の真打となり、以後年とともに名声をあげ、三遊派の実力者となった。72年(明治5)弟子の円楽に3代円生を継がせ、道具噺の道具いっさいを譲り、自らは扇1本の素噺 (すばなし)に転向した。

     多数の円朝の創作のなかで代表的なものは、『真景累ヶ淵 (かさねがふち)』『怪談牡丹灯籠 (ぼたんどうろう)』『怪談乳房榎 (ちぶさえのき)』の長編怪談噺三部作をはじめ、芝居噺では『菊模様皿山奇談 (きくもようさらやまきだん)』『緑林門松竹 (みどりのはやしかどのまつたけ)』『双蝶々 (ふたつちょうちょう)雪の子別れ』、伝記ものでは『後開榛名梅ヶ香 (おくれざきはるなのうめがか)』(安中草三郎 (あんなかそうざぶろう))、『塩原多助一代記』『月謡荻江一節 (つきにうたうおぎえのひとふし)』、人情噺では『文七元結 (ぶんしちもっとい)』『粟田口霑笛竹 (あわたぐちしめすふえたけ)』『業平文治漂流奇談 (なりひらぶんじひょうりゅうきだん)』『敵討札所 (かたきうちふだしょ)の霊験 (れいげん)』『霧隠伊香保湯煙 (きりがくれいかほのゆけむり)』『熱海土産温泉利書 (あたみみやげいでゆのききがき)』『政談月の鏡』『闇夜 (やみよ)の梅』『松と藤芸妓 (げいしゃ)の替紋 (かえもん)』『操競女学校 (みさおくらべおんながっこう)』『梅若七兵衛』、翻案ものでは『名人くらべ』『西洋 人情噺英国孝子 (えいこくこうし)ジョージスミス之伝 (のでん)』『松操美人 (まつのみさおびじん)の生埋 (いきうめ)』『欧州小説黄薔薇 (こうしょうび)』『名人長二』などであり、『福禄寿 (ふくろくじゅ)』など北海道で取材したものもある。このほか『鰍沢 (かじかざわ)』『大仏餅 (もち)』『黄金 (こがね)餅』『死神』『心眼』『士族の商法』『にゅう』『笑い茸 (たけ)』など多くの落し噺も口演しているが、彼の高座にはすべて聴く者の胸を打つような技巧と手法が考案されているので、いずれも人情噺的な性格を具備している。

     円朝は1891年(明治24)53歳のとき高座を退き、座敷専門の数年間を送った。98年に門弟支援のため高座に復帰したが、めぼしい寄席を巡回したのち発病し、明治33年8月11日下谷 (したや)車坂町の自宅で没した。62歳。辞世として「目を閉ぢて聞き定めけり露の音」という句が伝えられているが、谷中の全生庵 (ぜんしょうあん)にある墓碑には上五句が「聾 (みみし)ひて」と改作されている。『累ヶ淵』『牡丹灯籠』などで描写した因果応報や輪廻 (りんね)の思想を背景に、円朝が到達した解脱 (げだつ)の境地がこの句に示されている。円朝は、怪談噺、芝居噺、人情噺、落し噺など江戸落語を集大成し、近代落語発展への道を開いたが、ことに人情噺という高度な話芸を完成して落語の次元を高めた功績は大きい。また、山岡鉄舟 (てっしゅう)、井上馨 (かおる)らとも親交し、落語家の社会的地位を向上させた。なお、2代目は1924年(大正13)に初代三遊亭円右 (えんう)が襲名したが、高座に上らずまもなく病没した。

    [関山和夫]

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    9. さんゆうてい-えんちょう【三遊亭円朝(2代)】
    日本人名大辞典
    ⇒三遊亭円右(さんゆうてい-えんう)(初代)
    10. ゆう【瞿佑】(Qú Yòu)
    世界人名大辞典
    作《金鰲新話》《伝奇漫録》を生み,日本では浅井了意《伽婢子》,上田秋成《雨月物語》,明治の三遊亭円朝《牡丹灯籠》などに翻案された.中国では清代に完本が失われ,1
    11. ああ
    日本国語大辞典
    下「おっつけ子小児(ここども)でも出来てみな。ああはいかねへ」*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉一六「ああも仕やうか、斯うもしやうかと漸(やっ)との事で一
    12. あいきょう‐ずもう[アイキャウずまふ]【愛敬相撲】
    日本国語大辞典
    〔名〕あいきょうのある、すもう取り。好感の持てる力士。*真景累ケ淵〔1888〕〈三遊亭円朝〉五七「場所中関取が出るから来てゐるのだが、本当に好い関取だなア、体格
    13. あいきょう を 売(う)る
    日本国語大辞典
    他人の注意を引くようにあいそのよい態度をとる。*真景累ケ淵〔1888〕〈三遊亭円朝〉五六「何卒(どうぞ)、関取なら愛敬を売るお前だから厭でもあらうが、先の機嫌を
    14. あい‐こ[あひ‥]【相子】
    日本国語大辞典
    ベイ』〈略〉『イヤ、ヨイヨイヨイハア是はあいこドンど出しな』」*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉一五「飯島も面色土気色で目が血走りて居るから、あいこでせへ
    15. あい‐す・む[あひ‥]【相済】
    日本国語大辞典
    以て父君在天の霊に御謝し遊ばされ候や。決して相済(アヒスマ)ざる義なり」*塩原多助一代記〔1885〕〈三遊亭円朝〉一四「旦那様、誠に相済みません」
    16. あいたい‐まおとこ[あひタイまをとこ]【相対間男】
    日本国語大辞典
    通(アヒタイマヲトコ)だの、美人局(つつもたせ)で取ったのと」*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉一八「相対間男(アイタイマヲトコ)ではないかと僕は鑑定する
    17. あい‐て[あひ‥]【相手】
    日本国語大辞典
    トル」*俳諧・曠野〔1689〕八・釈教「双六のあひてよびこむついり哉〈胡及〉」*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉九「敵手(アヒテ)の大勢の時は慌てると怪我
    18. あいて 欲(ほ)しや
    日本国語大辞典
    また、その様子。相手を求める心。*諺苑〔1797〕「相手ほしや」*真景累ケ淵〔1888〕〈三遊亭円朝〉二「余り寒いから今一人で一杯始めて相手欲しやと思って居た処
    19. あい‐なか[あひ‥]【相中・相仲】
    日本国語大辞典
    *和英語林集成(再版)〔1872〕「Ainaka アイナカ 相中」*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉二〇「其お国は年は行(ゆか)ぬが意地のわるいとも性(
    20. あい‐びき[あひ‥]【逢引】
    日本国語大辞典
    838〕三・一五章「惚た男と会合(アヒビキ)をさせねへなんぞと」*真景累ケ淵〔1888〕〈三遊亭円朝〉三九「作蔵に少し銭を遣れば自由に媾曳(アヒビキ)が出来ます
    21. あお・い[あをい]【青】
    日本国語大辞典
    二・師尹「くやしくおぼすに御いろも、あおくなりてぞおはしける」*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉七「是が御主人様の顔の見納めと思へば顔色(ぐゎんしょく)も
    22. あおぎ‐た・てる[あふぎ‥]【扇立】
    日本国語大辞典
    両方より金地の風に扇(アフ)ぎ立(タテ)られ、風つよきかたの女になびき」*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉五「渋団扇を持て、あふぎ立(タテ)て涼(すずん)
    23. あか‐ぬ・ける【垢抜】
    日本国語大辞典
    *雑俳・柳多留‐一二九〔1834〕「垢ぬけた浅黄行水聞きわける」*英国孝子之伝〔1885〕〈三遊亭円朝〉四「利口相(そう)で脱俗(アカヌケ)た小意気な男」*帰郷
    24. あかみ‐がか・る【赤味掛】
    日本国語大辞典
    〔自ラ五(四)〕全体に赤い色が少し加わる。赤色、または赤茶色を帯びる。*真景累ケ淵〔1888〕〈三遊亭円朝〉一六「其の腫物(できもの)が段段腫上(はれあが)って
    25. あかん‐ぼう[‥バウ]【赤坊】
    日本国語大辞典
    バウ)の出来る様にとお前(めへ)を妾に抱え込(こん)だところが」*真景累ケ淵〔1888〕〈三遊亭円朝〉三四「お前(めえ)嫁に子供(アカンバウ)が出来たてえが、男
    26. あき‐ぐち【秋口】
    日本国語大辞典
    1745〕四「秋口から段々に名の変るが江鮒(えぶな)の出世」*塩原多助一代記〔1885〕〈三遊亭円朝〉六「アノ御苦労だが、追々秋ぐちは用が多いから」*道草〔19
    27. あきだる‐かい[‥かひ]【空樽買・明樽買】
    日本国語大辞典
    〔名〕(再使用のために)あきだるを買い集める職業。また、その人。*塩原多助一代記〔1885〕〈三遊亭円朝〉一五「明き樽買ひの岩田屋久八と申し」
    28. あきれ‐は・てる【呆果】
    日本国語大辞典
    今は世が悪がしこくなって、蚊さへ大躰(たいてい)なはかりことではいかぬ」*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉二一「御主人様を殺し、金を盗みしといふは呆れ果て
    29. あく‐うん【悪運】
    日本国語大辞典
    その報いがなくて、なお栄えること。また、そのようなことをもたらす強い運。*真景累ケ淵〔1888〕〈三遊亭円朝〉六八「悪運の強い奴で、表へ遁げれば弟子が頑張ってゐ
    30. あく‐さい【悪才】
    日本国語大辞典
    に悪才ありて、すまふを下にゐて、まったりと云ふことの始じゃ」*塩原多助一代記〔1885〕〈三遊亭円朝〉一四「只今では強談(ゆすり)杜騙(かたり)をする者も悪才に
    31. あくたい‐ぐち【悪態口】
    日本国語大辞典
    に逢ふからは、客さん方の真中で悪態口(アクタイグチ)はまだな事」*真景累ケ淵〔1888〕〈三遊亭円朝〉七〇「彼処(あすこ)に立って悪態口をきいてゐやアがる」
    32. あく‐ち【悪智】
    日本国語大辞典
    〔名〕悪い物事を考え出す知恵。わるぢえ。*塩原多助一代記〔1885〕〈三遊亭円朝〉六「多助を追ひ出すには如何したら宜らうと考へますと、又悪智の出るもので」
    33. あく‐とう[‥タウ]【悪党】
    日本国語大辞典
    41〕下「此度に限らず常々から知れて有悪徒(アクトウ)な兄様」*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉二一「何の因果で此様(こんな)悪婦(アクトフ)が出来たらう
    34. あく‐ばばあ【悪婆】
    日本国語大辞典
    〔名〕「あくば(悪婆)(1)(2)」に同じ。*塩原多助一代記〔1885〕〈三遊亭円朝〉一一「旦那此婆さんがお栄を略取(かどあか)した又旅のお覚と云ふ悪婆(アクバ
    35. あく‐ま【悪魔】
    日本国語大辞典
    857〕序幕「ふって湧いたこの御難儀は、今日の悪魔でござんせう」*真景累ケ淵〔1888〕〈三遊亭円朝〉四一「悪魔が魅入(みい)ったのだ。お前そんな心ではなかった
    36. あぐら を かく
    日本国語大辞典
    の水も近き居抜に引移り〈一茶〉 胡座かいても見ゆる淀川〈成美〉」*真景累ケ淵〔1888〕〈三遊亭円朝〉六八「胡坐(アグラ)をかいたなり立上りも致しません」*多情
    37. あぐらをかく
    故事俗信ことわざ大辞典
    茶の水も近き居抜に引移り〈一茶〉胡座かいても見ゆる淀川〈成美〉」真景累ケ淵(1869頃)〈三遊亭円朝〉六八「胡坐(アグラ)をかいたなり立上りも致しません」新文学
    38. あげ‐み【上身】
    日本国語大辞典
    短くすること。また、そのもの。〔両京俚言考{1868~70頃}〕*落語・にゅう〔1890〕〈三遊亭円朝〉「長い刀(み)を揚げて短くしたのを揚身と云う」
    39. あげ‐もの【揚物】
    日本国語大辞典
    〔東京語辞典{1917}〕(3)上身(あげみ)になっている刀剣。*落語・にゅう〔1890〕〈三遊亭円朝〉「誠に結構なお品で御座います、と誉めながら瑾(きづ)を附
    40. あさぎ‐もめん【浅葱木綿・浅黄木綿】
    日本国語大辞典
    染めた糸を使って平織りにした無地の木綿。多くは裏地用に用いる。*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉一六「良石和尚は浅黄木綿の法衣(ころも)を着し」*吾輩は猫
    41. あし が 付(つ)く
    日本国語大辞典
    たれば、まひ戻ってうせるは定(ぢゃう)、足が付いては面倒な」*塩原多助一代記〔1885〕〈三遊亭円朝〉三「己(お)れ達へ足がついて来たから、直に逃げなくっちゃあ
    42. あし‐くせ【足癖】
    日本国語大辞典
    〔名〕(1)(「あしぐせ」とも)歩く時や、すわる時、腰かけた時の足のくせ。*真景累ケ淵〔1888〕〈三遊亭円朝〉四四「足癖の悪(わり)い馬ア曳張って、下り坂を歩
    43. あし‐ぢか・い【足近】
    日本国語大辞典
    長屋へ足近(アシヂカ)い衆に、いさくさがあっては、跡の為になりやせぬ」*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉一七「これよりセッセッと足近く笹屋に通ひ、金びら切
    44. あし‐どお・い[‥どほい]【足遠】
    日本国語大辞典
    あしどほ・し〔形ク〕「あし(足)が遠い」に同じ。*真景累ケ淵〔1888〕〈三遊亭円朝〉三九「お累さんに咎(とが)はねえけれどもそれえ聞くと遂(つひ)足遠くなる訳
    45. あし‐もと【足元・足許・足下】
    日本国語大辞典
    頃〕中「足もと腰もと身のまはり、すっきりきれいに掃いた様なは」*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉八「慄(ぞっ)と足元から総毛立ちまして」(3)歩き方。足つ
    46. あじ‐きり[あぢ‥]【鰺切】
    日本国語大辞典
    を二本さしなさったとって、それが恐しゐものでもござりやせんはな」*真景累ケ淵〔1888〕〈三遊亭円朝〉一四「先刻ふと女房に聞いた柿の皮を剥く庖丁と云ふ鰺切(アヂ
    47. あそ・ぶ【遊】
    日本国語大辞典
    「三十三間と大仏のあひに、大き成鐘(かね)にて常住あそんで有」*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉一八「誠に商人抔(なぞ)は遊んだ金は無(ない)もので」*桑
    48. あたま【頭・天窓】
    日本国語大辞典
    が頂(アタマ)を丸めて。美服を着る事なれば。そふもせずは成まい」*真景累ケ淵〔1888〕〈三遊亭円朝〉五七「道場へ引かれれば煮て食ふか焼いて食ふか、頭から塩をつ
    49. あたま から 水(みず)を=浴(あ)びたよう[=打(う)ちかけられたよう]
    日本国語大辞典
    突然に事が起こり、驚き恐れてぞっとするさま。*怪談牡丹燈籠〔1884〕〈三遊亭円朝〉一二「幽霊が側(そば)へ来たかと思ふと、頭から水を打ちかけられるやうに成(な
    50. 頭から水を浴びたよう
    故事俗信ことわざ大辞典
    突然に起こった事のために、驚き恐れてぞっとするさま。 怪談牡丹燈籠(1884)〈三遊亭円朝〉一二「幽霊が側(そば)へ来たかと思ふと、頭から水を打ちかけられるやう
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