京都市伏見(ふしみ)区醍醐伽藍(がらん)町にある真言(しんごん)宗醍醐派の総本山。深雪(しんせつ)山または笠取山と号する。本尊は薬師如来(にょらい)。笠取山全山が寺域で、山上を上(かみ)醍醐、麓(ふもと)を下(しも)醍醐といい、上下醍醐に八十余棟の堂塔が配置されている。貞観(じょうがん)年間(859~877)理源(りげん)大師聖宝(しょうぼう)が山上に草庵(そうあん)を建てたのが始まりで、続いて准胝(じゅんてい)堂、如意輪(にょいりん)堂が建立された。さらに904年(延喜4)山下に釈迦(しゃか)堂、907年(延喜7)山上に薬師堂と五大堂が聖宝に帰依(きえ)した醍醐天皇によって建立され、定額寺(じょうがくじ)となった。919年、座主三綱(ざすさんごう)が置かれ、観賢(かんけん)が第1世座主に補任(ぶにん)された。続いて朱雀(すざく)天皇は949年(天暦3)法華三昧(ほっけざんまい)堂を建立し、村上(むらかみ)天皇は醍醐天皇追福のため952年(天暦6)五重塔を建立するなど寺運隆盛に向かい、その後の諸天皇も当寺に帰依し、大伽藍の完成をみるに至った。永久(えいきゅう)年間(1113~18)第14世勝覚のとき三宝院(さんぼういん)が建立され、ついで理性(りしょう)・金剛王(こんごうおう)・無量寿(むりょうじゅ)・報恩(ほうおん)の四院も建ち、醍醐五門跡と称された。以来多くの学僧が入山し、盛時には醍醐全山の伽藍坊舎甍(いらか)を並べた壮大さであった。初めは五門跡の高僧が交替で当寺の座主を務めたが、黒衣の宰相(さいそう)とよばれた満済(まんさい)が、応永(おうえい)年間(1394~1428)三宝院門跡となり、足利(あしかが)氏の信任を得て寺門の興隆に尽くして以来、三宝院門跡が醍醐寺座主を兼ねるのが通例となった。1470年(文明2)、兵火によって五重塔を残しことごとく焼失したが、時の座主義演(ぎえん)が豊臣(とよとみ)秀吉の帰依を受けて再興し、1598年(慶長3)に秀吉は醍醐の花見を催すなどして旧観を取り戻した。江戸時代には徳川氏も当寺を保護し、寺領を寄進した。また当寺は三宝院を中心として修験道(しゅげんどう)当山派の本拠地とされてきたが、明治維新後、修験道が廃止され、醍醐寺は真言宗に帰入された。
上醍醐には、当寺最初の堂である准胝観音(かんのん)堂(現堂は1968年の再建)があり、本尊准胝観音が安置され、西国三十三所第11番札所として著名である。薬師堂(国宝)は1121年(保安2)再建のものであるが、平安時代の気風を伝え、会理僧都(えりそうず)作と伝える本尊薬師如来および両脇侍(きょうじ)像(ともに国宝)が安置されている。また1434年(永享6)に再建の一山の鎮守清滝宮(せいろうぐう)拝殿(国宝)と本殿(国重要文化財)があり、ほかに五大明王を祀(まつ)る五大堂、如意輪堂、開山堂などがある。仏に供える水をくむ醍醐水閼伽井(あかい)があり、醍醐寺の名のおこりともいう。
下醍醐は、総門を入ると桜並木があり、仁王門に至る。この道の左右に三宝院、宝聚(ほうじゅ)院(霊宝館)がある。仁王門の奥が下醍醐の伽藍で、五重塔、金堂(いずれも国宝)などがある。五重塔は京都における現存最古の建築。初層塔内には壁画17面(国宝)があり、両界曼荼羅(まんだら)図、真言八祖像、唐草文(からくさもん)などが、心柱囲板(かこいいた)、連子窓(れんじまど)裏板、腰羽目板、天井や梁(はり)に描かれており、近年の解体修理で四天柱と扉にも絵があることが確認された。金堂は創建の位置に1600年(慶長5)豊臣氏が和歌山県満願寺の堂を移したもので、本尊薬師三尊像は国重要文化財。ほかに御影(みえい)堂、清滝権現(ごんげん)堂、女人堂などがある。
現存する塔頭(たっちゅう)寺院には三宝院、報恩院、理性(りしょう)院、光台(こうだい)院、無量寿院、金剛王院、岳西(がくさい)院、成身(じょうしん)院などがある。三宝院の現在の殿舎は1598年に起工され、表書院(国宝)、玄関、勅使の間、秋草の間、葵(あおい)の間、宸殿(しんでん)、庫裡(くり)、純浄観、護摩堂(以上、国重要文化財)よりなる。表書院を中心に各渡廊でつながれ、各室の壁、ふすまなどは彩色画が描かれ、奥書院(寝殿)上段の間の違い棚は醍醐棚とよばれる桃山時代の遺構。庭園は特別名勝・史跡指定の名園。1994年(平成6)、醍醐寺は世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。京都の文化財は清水寺など17社寺・城が一括登録されている)。
紙本着色絵因果経、絹本着色五大尊像、同閻魔(えんま)天像、同文殊渡海(もんじゅとかい)図などの国宝のほか、紙本墨画密教図像39点、大日金輪(こんりん)像、仁王経(にんのうきょう)曼荼羅図などの絵画、金銅仏具などの工芸品、彫刻など国重要文化財は非常に多い。また三宝院には絹本着色訶梨帝母(かりていも)像(国宝)がある。宝物の多くは現在宝聚院に収蔵されている。おもな年中行事に五大力尊仁王会(ごだいりきそんにんのうえ)(2月23日)、太閤(たいこう)花見(4月第2日曜)がある。
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