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新沢権現堂古戦場

ジャパンナレッジで閲覧できる『新沢権現堂古戦場』の日本歴史地名大系のサンプルページ

新沢権現堂古戦場
あらさわごんげんどうこせんじよう

[現]大内町新沢

新沢しんさわの八幡神社の背後に館跡があり、権現堂ノ館・荒沢之城・新沢館・小助川館などとよばれ、元亀―天正(一五七〇―九二)の頃に矢島大井氏の一族小助川治部少輔が居館を構えていたという(「小助川氏系図」由利郡中世史考)。館の広さは東西一〇〇間、南北三〇間であったが(大内村郷土誌)、いまは杉林となる。

天正一〇年庄内しようない(現山形県)の大宝寺義氏と安東愛季が由利に兵を進め激しく戦った。新沢権現堂はその時の合戦場の一つである。戦闘の詳細は記録がないが、愛季に加勢して戦功をたてた一部式部少輔宛軍忠状(秋田藩家蔵文書)が渡された。

天正拾年、新沢陣於権現堂敵夜責成候処、其方依働無比類、館堅固ニ持置、剰敵数多討捕候、祝着之余一筆如此候、後も弥走廻候者、勿論可加懇意候、仍如件、
三月九日 愛季(黒印)
一部式部少輔殿

また、天正一一年正月と推定される大宝寺義氏書翰(秋田藩家蔵文書)に「早春四月荒沢之城及行、外構悉打破焼払而、実城斗ニ成候」ともあり、新沢合戦が相当激しいものであったことがわかる。

一部式部少輔は佐竹氏の陪臣系図(県立秋田図書館蔵)に「中津川氏臣ナリ、伝テ羽州秋田二部ノ邑半ヲ領ス、因テ一部氏ヲ称ス、天正十年新沢権現堂ノ館ニ於テ戦功アリ、秋田愛季感書ヲ授ク、天正十八年七月二十二日湊ニ於テ戦没」とあり、その後子孫は佐竹氏の重臣梅津政景の家臣となった。

新沢館主の小助川治部少輔は赤尾津左衛門とも号し、その子の赤尾津孫次郎は慶長初年まで当地に住んだが、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原合戦の際に「最上家に属し、会津表上杉景勝を押て功あり」とあり、同六年常陸国へ所替になったという(小助川氏系図)。宝永七年(一七一〇)の御巡見様御案内ニ付留書覚印牒(大内町文化財資料)には、「駒なかせ 麓 同所古館 大井孫次郎と申人居被申候由、北南に四拾間程 西東に拾五間程」とあり、小助川氏系図に赤尾津の本名は大井とあるので、赤尾津孫次郎と大井孫次郎は同一人物をさすと思われる。

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