織田信長に関連するサンプルページ一覧

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本能寺の変(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
天正十年(一五八二)六月二日、明智光秀が京都四条西洞院の本能寺に織田信長を急襲して自刃させた反逆事件。備中高松城を囲んでいた豊臣秀吉からの戦況報告で織田・毛利両軍の全面的対決を決意した信長は五月十七日、徳川家康の供応にあたっていた光秀にも出陣を命じた。すぐに光秀は本拠近江坂本城に帰り
本能寺(日本歴史地名大系)
[現]中京区下本能寺前町寺町通に西面して総門を開く。法華宗(本門流)の大本山。卯木山と号し、本尊十界大曼荼羅。〈京都・山城寺院神社大事典〉〔開創〕応永二二年(一四一五)日隆が油小路高辻と五条坊門の間(現京都市下京区)に建立、当初本応寺と号した。日隆は妙本寺(現妙顕寺)第四世日霽に師事したが
明智光秀(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
安土桃山時代の武将。明智氏は美濃の名門土岐氏の庶流とされているが、光秀の出自や素性は詳らかでない。通称十兵衛。越前で朝倉義景に仕えたらしいが、永禄十一年(一五六八)七月足利義昭が朝倉氏のもとから織田信長を頼って美濃に赴いたとき、光秀は細川藤孝とその工作をしたらしく
山崎の戦い(日本大百科全書(ニッポニカ))
1582年(天正10)6月、本能寺の変のあと、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が山城国山崎(京都府乙訓郡大山崎町)で明智光秀を討った戦い。本能寺の変の起こったとき秀吉は、毛利輝元の部将清水宗治の備中高松城を水攻めにしていた。信長の死を知った秀吉は、それを秘して毛利氏と講和を結び、2日後には姫路城に戻って軍備を整え
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